
田村隆一〈空は〉[2023年09月07日(Thu)]
「幻を見る人」より 田村隆一
空は
われわれの時代の漂流物でいっぱいだ
一羽の小鳥でさえ
暗黒の巣にかえってゆくためには
われわれのにがい心を通らねばならない
中村稔「眩暈と違和――田村隆一、この一篇」より(『私の詩歌逍遙』所収 青土社、2004年)
◆中村稔が田村隆一の訃報に接して選んだ一篇(初出『現代詩手帖』一九九八・十)。
詩集『四千の日と夜』の最初に掲げられた詩群のひとつ。
ただしこれを中村は、四篇から成る「幻を見る人」の最終篇(第四編)であるとしているが、一般に知られているのは、第三篇としてである(現代詩文庫など)。
別稿があって、中村がそれに拠ったものか、不明。
◆漂流物は「われわれのにがい心」の中にこそ、おびただしく浮かび漂っているようだ。
漂流物をそれとして心が意識しない限り、それらは存在しないに等しい、と言ってしまえばミもフタもないはずなのだが、現代は、目に見えないから存在しないと言い抜ける徒輩ばかり大手を振って、ついには現物を目の前にしてすら、「あるとは限らない」とか「別の立場からだと、あるとは証明できない」、さらには、「ない」と完全否定する者さえ世にはびこる。
悪びれることなく同じ空気を吸い、同じ空を飛び交っている。
まして海・山においてをや。
「われわれの心」が苦さを増して限界に達すれば、急に甘さに転じる、なんてことはあるのだろうか?
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