
若松英輔「時のありか」+インタビュー[2023年01月30日(Mon)]
◆若松英輔の第四詩集『愛について』(亜紀書房、2020年)を読み進めている折も折、今日の朝日新聞朝刊にインタビュー記事が載っていた。臓器提供を受けるレシピエントの葛藤をめぐり、「命のケア」について、身体だけで生きているわけではない人間存在というものについて語っている。
印象に残った言葉を二つ、以下に引いておく。
身体だけをみる世界観は、「結果」だけに目を向ける社会です。
でも、命は、「道程」なのです。苦しみ、悩み、逡巡。そのものです。
そう述懐する死の根底にあるのは、がんと闘った妻を見つめ続けた彼自身の生の深まりだ。
そばでずっと見ていて、命の違う層を生きているのが、はっきりと分かりました。
彼女の生きる姿が示してくれた命の意味は、時間を経て深まっていくようにも感じます。
「生」の底に苦しみがあることを知って、命を次いでいく。それを行う人は、無言のうちにも多くの人を救い得るとさえ思います。
(聞き手・山内深紗子)
◆今日紹介しようと思っていた次の詩と響き合うインタビューだった。
時のありか 若松英輔
あなたと
見たものは
眼の奥に
あのとき
聴いた音楽は
耳の底に
いっしょに
食べたものは
舌の奥に
刻まれている
贈ってくれた
水仙の香りは
心の奥に
あなたに
ふれたことは
この手が
覚えている
でも 時は
いったいどこに
仕舞われて
いるのでしょう
どうしたら
あなたと
過ごした日々が
よみがえるのでしょう
◆なんという深い喪失感が、これらの言葉にたたえられていることだろう。
どの言葉も、記憶が刻まれている心と身体の深奥から汲み上げられている。
◆どの詩篇も、共に生きたかけがえのない人に宛てた相聞であり、同時に挽歌であると感じながら詩集『愛について』を読んだ。
これらの「時」は、どこかに「仕舞われている」だけだ、としか思われないゆえに、今日も「わたし」は、身と心の奥処に釣瓶を下ろし、言葉を汲み上げる。