
池下和彦「荷」「あずましかった」[2023年01月24日(Tue)]
◆池下和彦の『母の詩集』(童話屋、2006年)は題名通り母を介護する日々を綴った詩集。さらに2編を――
荷 池下和彦
朝夕の食事のしたく
毎日の入浴の手伝い
こうした
世話がすこしも
荷にならないとはいえない
この荷が急にとれたら多分
わたしが
よろけてしまうという意味で
◆ことばどおり、結びの2行で読者も「よろけ」てしまうのがおかしい。
コントのオチに通じる。
先日、TVで井上ひさし「てんぷくトリオのコント」(こまつ座、2014年)を放送していた。(いろんなオチを紹介するシーンがあったが、コントではズッコケる形が多い。立場をひっくり返したり、ギュッと引いていた手綱をいきなり離してよろけさせたり。)
違う立場にヒョイと立たせたり、解き放ったり……とオチの効果はさまざまだが、ゴリゴリに凝った肩や頭をもみほぐして別の風景を垣間見せる。
笑いを甘茶のように喫して、深刻に住しない、というのが長く続く介護でへたばらないコツなのだろう。
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あずましかった 池下和彦
家をあけて何日か
母を風呂に入れることができなかった
何日か振りの風呂あがり
母は
あずましかった
と言った
こころおきない気持ちをあらわす
この方言を耳にするのは
何十年振りだろう
あずましかった
同じ声の調子でくりかえして
母は何十年前の
母になる
◆「あずましい」とは「気持ちがいい」などの意味で、くつろいだ気分になって発する北国の言葉だ。
湯上がりだったり、肩をもんでもらったり、住み心地のいい住まいを訪れたりしたときなどにも用いる。
詩人は北海道生まれ。母の「あずましい」をほんとに久しぶりに聞いて、呼び寄せて良かったと思えたことだろう。
声だけでなく、肌もあたたかみとつややかさを取り戻して若々しい母の姿が目の前にある。
それを見上げる子どもの「わたし」もいる。