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高垣憲正「水の記憶」[2023年01月20日(Fri)]

◆日本現代詩文庫『高垣憲正詩集』(土曜美術社出版販売、1997年)から、もう一篇。


水の記憶 原爆忌   高垣憲正


 水は一度だけ燃えたことがある。
 虚空から巨大な炎が真っ逆さまに吹き荒れて、水の面は白熱の鏡と化したのだ。
 水は自らも炎をあげて、激しく燃えた。水にとって、思いもかけぬことであった。何もわからず、ただ燃え狂った。
 そして傷ついた。
 水に夜がきて、また朝がきた。
 水はくったりとなって沈んでいた。
 昼がきて、また夕闇が忍んできた。
 水は少しずつ水をとりもどした。ひそかに湧き出してはゆっくりと湛え、やがてあふれた。なめらかな水の動きに揺られて生き物が生まれては、また胸に抱かれて死んでいった。
 いま、水中から、炎の色の可憐な花が開く。もう燃えだすこともない水は、何も言わずただ冷たく澄んでいる。



◆詩人は「いのちとか、心とか、人類、平和、地球、そんな言葉は、今日、よほどの痛みや恥ずかしさなしには使えない。安易な使い方をすれば、社会通念や常識の代弁になってしまう。」と慎重な言い方をしている(『詩の発見』)。
むろん、いのちや平和について、考えていないわけではない。むしろ、いつだってそれらについて、感じ、考え、人一倍それらを誰かと共有したいと願っている。

「あの惨劇」といったところで、何も伝わらない。常套句の中に押し込めて、悲惨そのものからは遠ざかってしまう。水に抱かせて済ますわけにはいかないものがあるから、こうした表現になる。あぶくがほんの一ときだけ水面を泡立て、分かった気になってオシマイ、となりかねない。
 
◆この詩で、「水」は燃え狂う。
水に鎮められて収まったと済ますわけにはいかないものがあるから、こうした表現になる。

「水」は傷つく。
水自身が傷ついているのに、何かをその水に流すことなどできるはずがない。

「水」は「もう燃えだすこともない」――本当にそうあってほしい。
願えばそれは実現する、というわけにいかないことはようくわかっている。
だが、願い、それを言葉にしないならば、「水」は再び燃え狂うだろう。


 
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