
志樹逸馬「曲った手で」[2022年11月06日(Sun)]
曲った手で 志樹逸馬
曲った手で 水をすくう
こぼれても こぼれても
みたされる水の
はげしさに
いつも なみなみと
生命の水は手の中にある
指は曲っていても
天をさすには少しの不自由も感じない
若松英輔『詩と出会う 詩と生きる』(NHK出版、2019年)より
◆若松の上の本の第9章「生きがいの詩」において紹介されている詩だ。若松自身も神谷美恵子の『生きがいについて』という本で志樹逸馬の詩に出会ったのだった。
神谷が医師として赴任した長島愛生園(岡山のハンセン病療養施設)に志樹逸馬(1917〜59)は暮らしていた。
◆おそらく決して短くはない時間、自分の曲った指を見つめ続ける。こぼれていってしまう水が、その指を濡らし続けている。水は自分の外に在って、自分と世界の関係を意識させずにいない。しかしただそれだけではない。
やがて、水は自分の中にも在ることを感じているのではないか。
そのとき、水をもたらし、我を生かしている根源のものにじかに触れたのだろう。
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◇これまで取り上げた志樹逸馬の詩
★志樹逸馬「わたしの小さい手に」
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/595
★志樹逸馬の詩――地上の光
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/596