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阿部嘉昭「果葬」[2022年09月28日(Wed)]

◆昨日の「国葬」、花以外のものを何か手向けたのだろうか?
――次の詩を読んで、そんなことをボンヤリ思った。

***


果葬  阿部嘉昭(あべかしょう)


くだものぎらいのわたしだが
しぬまえには宗旨替えがおこり
すいみつとかたるべきもので
はかなくうもれてゆくのだろう
夏のおわりのひかりのつるに
しばられたかおへと白桃がふれ
すがたは百のうつろでしわみ
しばしもけいれんをなみうたす


『橋が言う』(ミッドナイト・プレス、2017年)より


◆アベ家の宗旨は浄土宗と聞いたように思うが、供物のあれこれは喪主側が気にすることで、他界を余儀なくされた当人が何を願っても、ままならない話だ。

まつりたい者たちの意向が中心となるほかないのだから、せめて要らぬ費えも労力も節減するよう知恵をしぼるのが、故人の志を忖度すること久しい者たちの務めというものだろう。

デジタル献花というのを誰が発案したか知らないけれど、あれで構わないというのなら、お供えも会葬者もサイバー空間のVR(仮想(かそう現実)で構わなかったわけである。
そうしなかったのは、死をも利用しないではやまない政治の都合とみなすほかない。


*上の詩のタイトル、「火葬/仮想/家相/下層……」などと、連想が拡散しそうになるのを「果葬」という語で定着を図った。果実が腐り、種から芽吹いた枝や蔓が、前世を押し包んで上方に向かうイメージである。
「葬る」とは、マズイもの、醜悪なものを覆い隠すことでもある。
光の中に昇華しおおせるものならよかろうけれど……、さて。



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