
金丸桝一「わたしは水一滴を運べずにいる」[2022年09月18日(Sun)]
わたしは水一滴を運べずにいる 金丸桝一
〈生〉を生きることのできない人間がいる
生み落とされてすぐに飢えに泣いている子がいる
その子を抱きかかえて空腹にどうにか耐えている母親がいる
日は哭いている
――日よ、あなたがすべてである
日は哭いている
――日よ、あなたを名づけた者がいない
日は日に次いで有り
日に日が重なる空間として日は有り
時間は空間にのみこまれて有り
空間は時間にのみこまれて有り
日は哭いている
わたしは水一滴を運べずにいる
わたしはペンをとっている
日本現代詩文庫『金丸桝一詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)より
◆深い嘆きの詩だ。無力感に苛まれながら、絶望することはできない。――耐えている者がいる現実があるからだ。
◆「日は哭いている」――別の詩「日が哭いている」では、「日」は、「問う」ことも「語る」ことも「究める」こともしない、と書いている。
のみならずどんなに詩人が問いかけても「答えない」という。
それらのすべては「わたし」が自分で行うことしかできない。「問い、語り、究める」こと、それらは「わたし」がなすべきこととしてある。それがわたしのその日その日の営みとなるほかない。
◆そう考えてくると、「日は哭いている」とは、「わたし」に悲しみいたむ心を掻き立て、「わたし」に行為をうながすものが居ることを表している。飢え渇いている母子に水と糧とが届くように力を奮えと。
だが、「わたし」は、水一滴だに運べずにいる。地上に身を横たえ苦しむ人たちの苦患(くげん)に比して、自分がなしうることのあまりに非力であると知る故に。