
かわかみまさと「せっけんのあか」[2022年09月12日(Mon)]
せっけんのあか かわかみまさと
おじいさんのあかはつちいろ
おばあさんのあかはくもいろ
おとうさんのあかはかぜいろ
おかあさんのあかはゆめいろ
わたしのあかは
ひがわりメニューの
なないろとうがらし
せっけんは
いろいろなあかを
もくもくおとして
けしつぶほどに
ちいさくなりました
いったいどなたのあかが
せっけんのあかをおとしたのか
せっけんは
きえてしまった
てのあかにもくれいし
きみたちは
わたしの
こころのよごれをぬぐいさった
エンジェルだとつぶやきました
『仏桑華(アカバナ)の涙』(コールサック社、2022年6月23日発行)より
◆詩集題名や、この詩集の発行日とした日付けで察せられるように、作者は沖縄・宮古島に生まれた詩人・医師。現在は富士山麓の病院長とのこと。
◆せっけんはさまざまな「あか」を落とし奉仕し尽くして姿を消してしまうのに、人間の方はそれにありがとうの一言もない。そういう気づきが、最初にあったのだろう。
そのままでは教訓クサイ話になってしまうのを、せっけんも「あか」を落としたのだ、という風に視点を逆にしたことから思いがけない世界が広がった。
もう一つの発見は、順に風呂に入る家族みんなが同じせっけんを使う、ということだ。
「あか」を流しながら家族の一人一人に思いが向かう。
流し去ったものは家族の悲喜こもごも、過ぎてみればいとおしいものにさえ思える家族の歴史の隈々(くまぐま)だ。
祖父母や父母が流した「あか」、それを受け継いだ自分の「あか」……
そのことに気づかせてくれたのがせっけんだった。
*「わたし」から「あか」たちへの「もくれい」が、せっけんから「あか」たちへの「もくれい」であるようにも読めるところが面白い。