
高橋順子「海の古里」[2022年05月25日(Wed)]
海の古里 高橋順子
わたしの古里では海の底にまで所番地がついている
かつてはそこで暮らす人たちがいたのだが
いまでは海の所有に帰す
返してくれ と海に言っても
海は聞く耳を持たぬ
旧町役場にある図面はすでに郷愁を漂わせている
わたしが海辺で生まれ育ったのは
津波と津波の間をひたす
おだやかな時間だったと知らされる
海は三月十一日古里をさらっていこうとし
数時間古里は海の新領土ならぬ新領海になっていた
母たちはもうここには住みたくないと言う
土地への愛着があの日から恐怖に変わった
恐怖は伝わりやすい
いまではわたしも十分に恐怖を感じている
海にさらわれた人たちが いっせいに ない息を吐いて
ない口をあけると
海は ない耳を大きく広げるのだ
『海へ』(書肆山田、2014年)より
***
◆日常が完全にひっくり返される恐怖は、それをもたらしたものが、愛してやまない古里の海であるゆえに、なおのこと有無を言わせぬ力で五感を揺さぶり、肝を刻む。
それは、水底に引きずり込んでやまない力を全身で受けながら、記憶と生々しい感情とがぶつかり合うところにわが身をさらすことだ。
海にさらわれた人たちの声は、たまさか生き残った者が振り絞る声と同じく、もはや聞こえぬ以上、口も耳も二つながら喪ってしまったに等しい。
頑是無いころの思い出が、「津波と津波の間をひたす/おだやかな時間だった」と思い知らされることの悲しみは、読む者の胸にも惻々としみてくる。