
《煮えたぎる泥の鍋の底で》[2022年05月22日(Sun)]
◆〈マスクの使用について政府見解〉などというのがニュースになる……
何だろう、この冗談みたいな、底の抜けた感じは?
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さらなる地獄について クァジーモド
河島英昭・訳
ある夜、スピーカーから叫ぶのではないか
オレンジの花の誕生について
ほころびかけた愛について語りながら、
ある夜、あなたたちは、いきなり
正義の名のもとに水素が
大地を焼きはらうと。森と動物たちは
崩壊の方舟(はこぶね)のなかに熔けこみ、炎は
鳥黐(とりもち)となって馬の頭蓋骨を覆い、
人びとの目を塞ぐ。それからわたしたち死者に向かって
あなたたち死者は言うだろう、新しい掟の
いくつかを。古めかしい言葉づかいのなかには、
別の徴(しるし)が、細身の刃(やいば)、忍び込ませてある。
すると誰かが呟くだろう、煮えたぎる鉄屑の上で
すべてをまた発明するだろう、
あるいはついに、同じ宿命のなかにすべてを失うであろうか、
溢(こぼ)れ落ちる呟きと、弾(はじ)ける光の
炎と共に。あなたたち死者はわたしたち死者に向かって
希望を語ることはないだろう、
煮えたぎる泥の鍋の底で、
この地獄の底にあってまで。
河島英昭・訳『クァジーモド全詩集』(岩波文庫、2017年)より
第五詩集『比類なき土地』(1958年)収載の一篇。
◆「あなたたち死者はわたしたち死者に向かって/希望を語ることはないだろう」とまで言うのは「正義の名のもとに/水素が大地を焼きはらう」時代に生きていると認識するからだ。
「煮えたぎる泥の鍋の底」に在って、もはや「希望を語ることはない」のだとしても、それでも言葉を紡ぐことをやめないのは、なぜか?