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宮本研『明治の柩(ひつぎ)』[2015年12月03日(Thu)]

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◆◇◆◇◆◇◆

◆東演による宮本研『明治の柩』を観た(11/29.紀伊國屋ホール。演出:黒岩亮)。

足尾鉱毒事件の田中正造(この作品では旗中正造という役名で登場)を描く。

芝居の冒頭(序曲)、作者は「夜が明ける前の暗さ――」と書き起こす。
2015年の今、これを上演する意義は幾重にもあった。

たとえば、第1幕(明治33年)、帝国議会において、群馬県川俣で請願陳情のために上京しようとした鉱毒被害民を巡査憲兵が襲撃した事件で政府の責任を問う正造の大演説――

かりにも人民の政府たるものが、人民を撲ち、人民を傷つけ、人民を殺すとは何事でありまするか。
ようく覚えておいていただきたい。
政府が政府たる義務をおこたって人民に刃向かうときは、人民は政府にむかって戦さをおこす権利を行使いたしまするぞ。


――「革命権」ということだ。

だが、質問を受けた総理は「質問の趣旨その要領を得ず。依って答弁せず。……」と舞台に字幕が映し出される。

特定秘密保護法から戦争法案、TPP……枚挙にいとまあらずの、中味のない政府答弁を連想せずにはいられない。

◆第2幕(明治37年)、谷中村(芝居では旗中村)を遊水池にする議案を県会が秘密議会で一挙に可決させる暴挙に出たこと、また、足尾銅山一帯の山林を会社が伐採し始めたことが、正造から農民たちに知らされる。日露戦争突入、銅の増産のために坑道を拡張する必要からだという。

沖縄・辺野古をめぐる政府と前知事の野合、強行工事を髣髴とさせる。

◆百姓・宗八のことば――

もう、いまは天保や安政じゃねえ。明治でがす。明治の新時代でがす。
……百姓百姓とよびつけられても、胸張って生きねばならねえ時代でがす。
百姓だって、憲法のあることぐらい知ってるだよ。


*******

芝居には豪徳さん(後に大逆事件で処断される幸徳秋水)、岩下先生(キリスト教社会主義者・木下尚江)も登場する。

彼らと正造の生き方の違い(と、そして共有するものと)は芝居の横糸。
縦糸となるのは若者たちだ。
正造を師と仰ぐ佐竹和三郎や、日露戦争に出征し、凱旋したものの、村に留まることには活路を見いだせず、佐竹とともに足尾に入る小作農のせがれ・治平ら。
彼ら若い世代との議論の衝突は重要だ。

それによって正造は傑出した英雄ではなく、むしろ数々の欠点や限界をそなえた人間として造型された。

◆反対同盟の総代を務めてきた佐十が、村に留まることを断念して那須の荒地に移住する腹を固め、正造に問う――

佐十は、死んでも離さねえ、死んでも売らねえって意地を張る田圃はもってねえでがすよ。……佐十は小作でがすよ。その、土地ももたねえ百姓が、十年も、運動の先頭きったんではねえすか。旗中さん。

旗中 …………



人民とともにあろうとしてきた旗中(正造)にも返す言葉はないのだ。

◆正造を師と仰いできた佐竹も正造に問い質す。

――先生。
旗中村が一本になれなかったのはなぜです。
敵が強かったとか、巧妙だったとか、そんないいわけは聞きません。
こちらが一本にまとまらなかったのはなぜなんです。
先生。
……なぜなんだ、宗八。なぜなんだ、治平。……
――――
南佐十がいったじゃないか。
土地を持たぬ小作がどうして土地をまもる。
土地を耕さぬ地主がどうして村をまもる。
古山(銅山の経営者)は地主に金を積んで更地をやるといった。
地主が土地を売ったら、小作はどこに行くんだ。
それがわかったときになぜおれたちは手を打てなかったんだ。

*******

地主を原発や新基地建設を受け入れた行政の長に置き換えれば、この構図が今も民草を苦しめていることに気づくだろう。

◆やがて、村の土地収用を執行しに役人が巡査を伴いやってくる。
正造のセリフ――

日本には憲法がある。
憲法は人民のためにある。人民のための憲法を用いて、人民の人権を蹂躙し、人民の家と土地と生活を強奪するのが、なぜ強盗行為ではないのか。


だが役人は冷ややかに言い放つ――

旗中さん。あなたは、二言目には憲法を口にされる。
が、その憲法のもとでつくられた法律によって、旗中村は廃止されたのです。
その法律によって、家屋の撤去と住民の立ち退きが要求されているのです。


◆◇◆◇◆◇◆

尾行巡査の役者さんに感服

◆「鎮魂のための終曲」と題された最後は、正造の柩を背に、これまでせりふを発することのなかった斎藤巡査が語る。
10年もの間、正造を尾行し続けてきた警視庁巡査の任もまた終わりを告げるのだ。

彼の経歴は第2幕の初めの方で語られていた。
もと官軍に敗れた会津藩士で、西南の役では官軍の兵として薩摩鎮圧に加わり、そして尾行の巡査という来歴を持つ。
いわば、彼もまた時代にもまれながら生き抜こうとしてきた人物だ。

◆この場面で息を呑んだ。
正造の最期を見届け、明治という時代を見送る斎藤巡査の頬にいつしか涙が伝っている。
だが、抑えた声音はまったく震えや揺れを含まないのだ!
深い哀悼を込めながらセリフはしっかりと客席のすみずみまで届いていた。


無理に感情をかき立てて語るのではない。
深海の底の方から、語る者の体温を失わないまま湧き上がってくる水のようなことば。
悼むこころは悼む者の生きてきた時間と一如のものとして伝わってきた。
すごい役者さんだと思った。

本日(12/4)が千穐楽だ。

*******

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宮本研(1926〜88):ホール入口にて

明治の柩チラシ-A.jpg



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