
マンザナ その3[2015年11月23日(Mon)]
すずきじゅんいち監督のマンザナ
ー『東洋宮武が覗いた時代』を観る

◆10月に井上ひさしの『マンザナ、わが町』を観た時に買ってあった映画をDVDで観た。
すずきじゅんいち監督(1952年生まれ)の『東洋宮武が覗いた時代』(2008年製作。フィルム・ヴォイス)だ。
芝居のプログラム「the座No.87」は日系アメリカ人受難の歴史を伝える貴重な資料となっていたが、その中に映画監督・すずきじゅんいち氏の文章があり、日系アメリカ人3部作を撮った人だと知った。幸い、ロビーに第1作のこのDVDや著作が並んでいた。
*写真家・東洋宮武の名は記憶にあったが、どこで作品を観たのか思い出せない。
映画を観て、その作品の多くが川崎市市民ミュージアムに収蔵されていると知った。
◆映画は、真珠湾攻撃の日、結婚式会場で写真を撮っていた宮武東洋の話から始まる。
結婚式にFBIが乱入して参加者数名が逮捕され、結婚式は中断される。
やがて東洋自身も大統領令9066号によってマンザナ収容所に収容されることとなる。
◆井上ひさしの芝居『マンザナ、わが町』が、収容されたばかりの5人の女性たちに焦点をしぼったのに対して、ドキュメンタリー映画である『東洋宮武が覗いた時代』は、東洋という写真家が記録した数々の写真を映しながら、収容所の生活、太平洋戦争、欧州戦線、戦後まで尾を引くことになる日系人同士の確執や親子の間に生じた葛藤までも描く。
◆宮武東洋(1895〜1979)は渡米後、エドワード・ウェストンらに写真の技術を学んでロサンゼルスのリトル東京に写真スタジオを持ち、写真家として活躍していた(画面には映画俳優の早川雪洲から美空ひばりまで、戦前から戦後にいたる彼の手になる著名人のポートレートも出てくる)。
◆家族とともにマンザナに収容されてしまった東洋はしかし、レンズとフィルムフォルダーを隠して持ち込んでいた。そして手作りカメラで収容所の生活を密かに撮影し続けた。
その手作り写真機が映画に出てくる。
収容所内の大工さんの協力で作った外箱は、かき集めた板きれを寄せ木細工のように何枚も貼り合わせたもの。レンズは水道管に取り付けてピントを合わせられるようにした。
危険をおかしてまで写真を撮った理由を、東洋は息子のアーチーに、
「二度と起ってはならないこの事実をカメラで記録することが写真家の務めだ」と話したそうだ。
収容所所長の理解もあって、東洋は白人助手を伴うという条件付きで撮影することが許可される。やがて、所長「黙認」のかたちで、写真を撮ることができるようにもなった。
かくして収容所が閉鎖される1945年の終戦まで、東洋はマンザナ収容所の人々を撮り続ける。
◆収容所に、風景写真で知られた写真家アンセル・アダムスがやってくる。東洋もその被写体となって知り合い、戦後へと続く交流のきっかけとなった。
◆すずき監督が東洋に興味をもつようになったきっかけは、このアンセル・アダムス(1902〜84)がマンザナ強制収容所の人々を写した写真集『Born Free and Equal』(自由に、平等に生まれて)であったという。
すずきはその著『1941 日系アメリカ人と大和魂』の中で、アダムスについて次のように書いている。
このアダムスの写真集は戦争中に出版されたが、当時のアメリカ国民には、日本人も日系アメリカ人も同じ部類の敵国の国民としか映らず、この素晴らしい写真集はほとんど売れなかったし、売れたものの大衆の面前で火をつけられ抗議を受けることもあったという。写真集の題名のように、「自由に、平等に生まれ」たのに、皮肉にも強制収容所に入れられている日系人をテーマにすること自体、戦争中の皆が狂気の状況にある中では、かなり勇気がいることだと思う。しかし、アダムスはそれをあえてした。
◆映画には、米国への忠誠度テスト(*注参照)が日系人たちにもたらした混乱、対立や、忠誠を証明するために兵役を志願した人々の証言が出てくる。
すずき監督は、第2作『442 日系部隊』において、ヨーロッパ戦線で死闘を繰り広げた日系人442連隊の兵士たちを描くことになるが、東洋を軸にしたこのシリーズ第1作でも、多くの元兵士の証言を記録した。
◆一世たちは米国籍を取ることができなかった時代であり、明治生まれで日本的な価値観を持ち続ける人が多かった(例えば何人もの日系人が口にする「仕方が無い」という言葉。異国で暮らしていく行くためには災難を受け入れるしかないと考え、子どもたちもこの考え方でしつけた。
しかし、二世たちはアメリカ国民として教育も受け、考え方も米国流に育った。
世代間の確執が生まれる。
差別を乗り越えるためにアメリカ人としてアメリカのために闘う覚悟を固めて志願した若者たちから成る442部隊は、「Go For Broken」(当たって砕けろ)の覚悟で数々の戦功をたてる。
◆著名な政治家、ダニエル・イノウエ(1924〜2012。ハワイ州選出の上院議員。ウォーターゲート事件の特別調査委員長なども務めた。証言当時84歳)もその一人で、442部隊の兵士としてヨーロッパ戦線で戦った英雄だ。
*なお、日系人の多いハワイでは収容策が取られなかった。12万人を数えたという収容日系人の多くは西海岸に住む人々である。
◆イノウエの証言はフランスやロシア、アメリカがシリア空爆を激化させている今、かみしめるべきことばだ――
――戦争は人格や性格を変えるのだと実感しました。
――つらいことです。頭から離れないのです。人を殺し、それを楽しんだ。口に出すのもおぞましい。
何千人もの兵士が同じ思いをしているのは確かです。
特に夢で見るのは、ジャケットに手を入れたドイツ兵のことです。
ピストルを出すのだと思った私は彼をライフルで殴り倒しました。
飛び出た彼の手が握りしめていたのはピストルではなく、写真の束でした。
妻と子どもたち、家族がいるということを私に伝えようとしていたのです、子どもがいるんだ、……ってね……。
その時、初めて気づいたのです。自分が殺しているのは兵士ではなく、誰かの夫、恋人、叔父、甥……人間であることに。
◆映画は、スティーブン・オカザキ(1952年生まれの日系三世)のドキュメンタリー映画『アンフィニッシュド・ビジネス』(”Unfinished Business”1975年)も引用している。
強制立ち退きは違法だと訴え、敗訴して刑務所に入れられても闘いをやめなかった人々の貴重な証言だ。
ミノル・ミン・ヤスイ:「誰かが政府に立ち向かうことは必要でした。だからやったのです」
フレッド・トヨサブロウ・コレマツ:「何も間違ったことはしていません。アメリカ市民として当然の権利を主張したまでです。」
◆根本にあるのは、人間の尊厳は自己の存在をかけた闘いによって勝ちとるものだ、という揺るぎない信念だ。
そしてそれを普遍的な価値として憲法が保障している。
もし、人間としての当然の権利が損なわれているとすれば、それは憲法を正しく用いない者がいるからだ、と言う。
個人の権利保障を求める闘いは、同時に他者の権利を守る闘いにほかならないことを、何度でも確かめなければならない。
◆映画の終わり近く、ブルース・エンブリーが我々に問いかける。
彼は、マンザナに学ぶ巡礼プログラムを創始したマンザナ委員会会長、スー・エンブリーの息子だ。
――また同じ間違いが繰り返される可能性があるかぎり、政府が合州国憲法を正しく機能させない可能性がある限り、そして戦時中、日系人にあったことが、また誰かに起きる可能性がある限り、私たちは立ち上がらなければなりません。もし私たちが収容所体験で学んだことを生かすことができないなら、誰ができるのですか?
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*忠誠度テスト
特に#27、28の質問が日系人を苦しめた。
質問27:あなたは命令を受けたら、いついかなる地域でも合州国軍隊の戦闘任務に服するか?
質問28:あなたは合州国に忠誠を誓い、国内外におけるいかなる攻撃に対しても合衆国を忠実に防衛し、かつ日本国天皇、外国政府・組織に対して忠誠・服従しないことを誓えるか?
★徴兵拒否者は「ドラフト・レジスターズ(徴兵忌避者)」、あるいは「ノー」と答えたことから「ノーノー・ボーイ」と呼ばれて、より管理の厳しいツールレイク収容所(カリフォルニア州北端)に移送された。
★米国籍を取ることが認められなかった一世にとって、質問28に「イエス」と答えて祖国を捨てることは、無国籍になることを意味した。
また二世である息子がアメリカ市民として社会的に受容されることを求めてイエスを選択することは、父や母にとっては我が子に見捨てられることを意味した。
忠誠度テストはこうして在米日本人・日系米人にとって「踏み絵」となったのである。
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すずきじゅんいち『1941 日系アメリカ人と大和魂』文藝春秋(2012年)
*表紙の写真はアンセル・アダムスがマンザナ収容所で撮った一枚。

すずきじゅんいち, 榊原るみ, 秋山泉, 宮武東洋
『東洋おじさんのカメラ―写真家・宮武東洋と戦時下の在米日系人たち』小学館 (2009年)
*以上、2冊とも『マンザナ、わが町』を観た日に会場で求めたもの。
書店と講演のタイアップで関連書が目の前にあるのは観客にもありがたい。
*すずき監督の奥さんが女優榊原るみであることを上の『1941〜』を読んで知った。
◆井上ひさしは寅さんの山田洋次監督との対談で、彼女が出演した『男はつらいよ 奮闘篇』(第7作)がシリーズのベストと評し、田舎出の素朴な娘・太田花子を演じた榊原るみを絶賛していたから、こまつ座の芝居の会場にこの絵本が置いてあるのも似つかわしいことだった。
なお『マンザナ、わが町』を見物した日の紀伊國屋ホールにはその山田洋次監督の姿もあった。
非礼を承知でご挨拶した。
山田監督の最新作『母と暮せば』が試写会を終え、12月いよいよ小屋にかかる。