
飯島耕一「歩行の原理」[2022年01月26日(Wed)]
歩行の原理 飯島耕一
きみはことばで歩く
脚によってではなく
きみは脚でことばを話す
口でではなく。
木ということばが戻ってきたのも
最初に知ったのは脚だった
木ということばが戻ってくると
木を直視することができる。
木は歩いた
あの脚をもつブンゼン灯も歩行した
酸素に包まれて それらは歩行した
きみはファロスの塔をめざして歩く
この地では失われた塔をめざして
歩くよりない。
闇も光も自分でつくり出すしかない。
海はいたるところにあった
夕暮れきみは一都市のすべて
を見ようとして
公園の木々のあいだに行列する
巣箱を見る。
と 巣箱も きみの内部も
すでに海である。
ファロスの塔にも
光はなく
ただことばのうちに光源を探す。
きみはそのようなフィヨルドに棲む。
無数の日と夜をかけて
きみが知ったのは
そのことだった。
きみは海図のみをもち
コンパスを所有しなかった。
もはや恐怖はない
きみは歩行者に相似した形をもつ
コンパスを所有した。
無数の日と夜を占めた
幻想は去った。
きみはことばによって歩く
ことばは少数でよい
きみが一行のことばとなって歩行する
きみは霧をまとった船となって
歩行する
きみの気管のマストは
火の色をしている
きみも そのとき
一個のファロスの塔だった。
『ゴヤのファースト・ネームは』(青土社、1974年)所収。
『現代の詩人10 飯島耕一』(中央公論社、1983年)に拠った。
*ブンゼン灯…石炭ガスなどを燃やして高熱を放つ装置。ガスバーナー
*ファロスの塔…アレクサンドリアのファロス島にあったという大灯台。
紀元前3世紀ころに作られ14世紀初めの大地震で倒壊したという。
◆飯島自身が誌した年譜によれば、1971年から翌年にかけて抑鬱症を患い、通院が続いた。病後はじめて発表したのがこの「歩行の原理」であった。
「木ということばが戻ってきた」というのは再生のうれしさを端的にうたったものだろう。
◆「ことばで歩く」を通常の表現に戻せば「歩くこと」によって、「ことば」がよみがえってきた、という意味だろう。それを転倒させることで、病からの生還、失われたものが回復した歓びを実感をこめて表現した。
生きている手応えは、世界を照らし出し、我が目で視ることのうちにあり、それを可能にするものこそは言葉であったことを改めて知ったのである。
それゆえに、この詩は観照や瞑想からは最も遠く、歩行と呼吸の律動を伝えてくれる。
その意味で、ベートーヴェンの交響曲「田園」を聴くような感じがある。