
ヴィクトリア駅の鳩:須賀敦子「同情」[2022年01月23日(Sun)]
同情 須賀敦子
つめたい秋の朝の
ラッシュアワーの停車場前
がつがつとパン屑をついばみ
せはしげに まばたきして うずまく
青、灰、緑の
鳩の波に
ひとり 背に 首をうづめて
うごかぬ おまへ
セピア色の 鳩よ。
あゝ
わらっておくれ
うたっておくれ
せめて みなにまじって
わたしを安心させておくれ。
(いろがちがふからといって
なにもおそれずともよいのだ。)
主よ 一羽の鳩のために
人間 が くるしむのは
ばかげてゐるのでせうか。
ヴィクトリア・ステーションにて
(1959/9/7)
*須賀敦子詩集『主よ 一羽の鳩のために』(河出書房新社、2018年)より
◆須賀敦子はローマ留学中の1959年、夏から秋にかけてロンドンに遊学した。
上の詩はロンドンのヴィクトリア駅で見た鳩たちに寄せたもの。
中に一羽の鳩が目に留まった。
他の鳩と違ってパン屑に熱中するでもなく、羽の色も他と違う。
肌の色、瞳の色の違う人々の中にあって、わが身の孤独をその鳩に重ねてしまうのは自然なことだった。
◆その昔、紫式部は、中宮彰子に御子誕生で浮き立つ道長邸の華やぎをよそに、池に遊ぶ水鳥にわが身を重ねて次のように詠んだ。
1959年の秋を迎えたロンドン、須賀敦子の心境もこれに近いものがあったように思う。
水鳥を 水の上とや よそに見む
われも浮きたる 世を過ぐしつつ
かれ(水鳥)もさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなりと、思ひよそへらる。
*「紫式部日記」寛弘五年(1008年)、秋から冬にかけての記事。