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三木卓「夢の人々」の鏡像[2022年01月17日(Mon)]

◆高度経済成長の繁栄を謳歌していた1960年代頃の詩で、21世紀になったはずの今現在の方が実は夢ではないのか、と思わせるものに出会ったりする。
「戦後」77年を閲して、時計の針が元に戻ったわけではないはずだけれど、かつてと大差ない気分を引きずっていることに気が付くのだ。
良く自分の姿を見てみろよと、鏡を目の前に突きつけられるわけだ。


夢の人々   三木卓


あけがた つらい夢をみた
飢えた大人が ひもじいこどもが がっついた犬が
列になって丘のうえを横切っていた
大人は なにがしかの銅貨を
こどもは 馬鈴薯のはいったカレーライスを
犬は すこしは実のある汁かけ飯を
「どうかください! ほんのすこしでも!」
犬は 爪のないまえあしを
こどもは 鼻汁のこびりついた てのひらを
大人は たこのある両手をひろげて
叫んでいた 空を見あげながら…
むかしから だれもがみてきた夢をみた
にわとり飼いも 臨時雇いも 炭鉱夫も
プレス工も 子もち女も 定年退職者も
シャツをきたまま 昼間のにおいをつけたまま
いぎたない 眠りのなかでみる
これが その夢だ
その孫が またいとこが はとこの子が
富士山や鷹やなすびをみそこなって
寝汗をかきながら きっとみるだろう悪夢だ
ところで かれらは丘をこえてどこへいったか
国境をこえ モーゼたちのように
海をあるいていったかも しれないが
だれも知らない
たとえ異国へいっても
ここ当分は しあわせになれまい


『東京午前三時』(思潮社、1966年)所収
『三木卓詩集1957-1980』(れんが書房新社、1981年)に拠った。




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