野見山暁治とドガの言葉[2022年01月15日(Sat)]
◆TVで画家・野見山暁治の百歳を超えてなおカンバスに向かう姿を見たのと同じ日の今日、読み終えた本に、ドガの次のような言葉があった。
自分がいましていることではなく、自分がいつかなしうることを、より優れたものと評価しなくてはならない。そうでなければ、苦労して働く必要などない。
(下線部、原本は傍点)
ポール・ヴァレリー「ドガ ダンス デッサン」p.138(塚本昌則 訳、岩波文庫、2021年)
◆ドガ70歳の時の言葉だそうだ。
まこと、手わざの道には終わりがない。
これで完成した、などと満足していてはならない、と自戒している、というよりも、「完成」という発想がそもそもないのだろうと思う。
頭の中にないばかりか、画家の手じたいが、未だ先がある、と動き出そうとしているのをドガは止められないのだ。(ドガは自分の手を離れた作品を所有者から取り戻して、さらに手を入れることがしばしばあったそうだ。)
画家の手は、ものを生み出しながら手応えを感じ、無限の未来まで考えてもいる器官だからそういうことも起きる。
手が頭脳でもあるという点で、筆を持った野見山曉治の手も同じであるように思った。
あと、音楽家も同様ではないか、という気がしている。