工藤直子「こどものころに みた空は」[2021年11月20日(Sat)]
こどものころに みた空は 工藤直子
ひとはみな
みえないポケットに
こどものころに みた 空の ひとひらを
ハンカチのように おりたたんで
入れているんじゃなかろうか
そして
あおむいて あくびして
目が ぱちくりしたときやなんかに
はらりと ハンカチが ひろがり
そこから
あの日の風や ひかりが
こぼれてくるんじゃなかろうか
「こどものじかん」というのは
「人間」のじかんを
はるかに 超えて ひろがっているようにおもう
生まれるまえからあって
死んだあとまで つづいているようにおもう
ハルキ文庫『工藤直子詩集』(2002年)より
◆詩の始まり、「ひとはみな…」を読んで、自分には当てはまらないなア、「ハンカチのように おりたたんで」ある空なんて、と思ってしまった。
もしかして「こどものじかん」などなかったんじゃないか、と感じられて、わびしい気分になった。
ひょっとして「人間」などという益体もないものになってしまうと、「こどものじかん」のことなど、すっかり忘れてしまうのかも知れないゾ、とすら思った。
だが、読み返すうちに、独りポツンと見あげていた空があったこと、ハシカで学校を休んでいた時だったと思い出した。
それは、「生まれるまえ」や「死んだあと」――無論その記憶もイメージも湧くはずはないのに――と確かに続いている「じかん」であることも間違いないように思えて来た。