岩佐なを「作田」[2021年11月06日(Sat)]
作田 岩佐なを
作田君サクタサルマタフェルマータ
なんて言ってごめん
もうあれから五十年
どこへ謝りに行ったらいいか
随意の長さで生涯を続行中だろうか
廃校の窓から追憶の赤糸を靡かせて
朝やけ寂寞と夕やけ寂寥の
透明度を測ってみる
ダ カーポ
ムリもどれない
岩佐なを『ゆめみる手控』(思潮社、2020年)より
◆ギャグで傷つけただろう「作田君」、今ごろどうしてるだろう、と半世紀も昔、箸がころがっても可笑しい年ごろだった自分を甘酸っぱく思い出す。
詩の語り手として設定した女子は、実はこちらの片思いの相手で、彼女は今も健在で、こんなことを思っていてくれるんじゃないか……そうだったらいいのだが……と想像してみる「作田」君の秋の一日……という結構の詩だと思う。
※映画『笑いの大学』で、芝居の座付き作家(稲垣吾郎)が検閲官(役所広司)に言う「サルマタ失敬!」の駄洒落を思い出させる一篇だ。
「サルマタ」は「フェルマータ」に展開し、同じく音楽用語「ダカーポ」(最初に戻る)を終わりに持って来て符節を合わせる。でも(青春時代には)戻れない、というオチなのだけれど、同時に、あのデュオ・グループとそのヒット曲を思い出させる。
こういう、風にそよぐ和毛(にこげ)のような柔らかい想像力がうらやましい。