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石原吉郎「キャンパスで」[2021年09月16日(Thu)]


キャンパスで   石原吉郎


両側へ橋となることで
季節が平等になるときが
いちどはきまってあるものだ
植物ははんぶん植物で
空も半分だけ
たぶん空であるわけだ
季節にはちゃんとしたしつけがあって
外套を着せられたり
上着をぬがされたり
するわけだが このところ
ぶらさげた上着を
芝生へ忘れたりする
きみらは半分おとなであり
たぶん半分だけ未来であるだろう
半分だけ孤独で
おまけにまだ半分連帯であるわけだが
のこりの半分は
きみが責任を負うしかない
きみらがきみらである分を
季節はまにあわせてくれないのだ


新選現代詩文庫『新選 石原吉郎詩集』(思潮社、1979年)

◆恐らく春から初夏へと移る季節に若きらとともに芝生に腰をおろし、一人一人の顔を見ながら紡いだことば。
愛情と励ましにあふれていて、教訓を垂れるおこがましさはない。

ここで「責任」ということばには、現代の「自己責任」という言い方をするときの押しつけがましさや突き放す冷たさがない。

橋をわたる者たちの肩に舞い降りる「誇り」とでも言うべきもの、受けわたされたものの大きさを感じて、それにふさわしいよう、我が身を添わせて生きようと願う祈りや誓いのようなもの。

リモート授業だけでは、そうした時間を味わうことは難しい。


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https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/2075
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