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田窪恭治「林檎の礼拝堂」[2015年10月12日(Mon)]

10月5日に彫刻の森で出会った淺井裕介君。
彼が描く朝日歌壇・俳壇のページを開くのが楽しみになった。

DSCN3485.JPG

今日は〈ブラフマンの感電〉と題したもの。
彫刻の森美術館で展示中のネズミのキャラクター、ただし双頭のように見える。

ブラフマンとはインド哲学に出てくるあれだろうか。
宇宙の原理というもの。漢訳して「梵」。アートマン(自己)と倫理の時間にセットで教わった。

その名を冠したロックバンドがあると聞いた。音楽に触発された何かがあるのだろうか。

*******

彫刻の森美術館の「淺井裕介−絵の種 土の旅」展では素材とした土のサンプルがシャーレに入って並んでいたが、美術館敷地内から採取した一つに、「田窪恭治 林檎の礼拝堂 箱根ヴァージョンの背後の土」というのがあった。

野外でその作品が印象に残っていたので、なるほど、と思った。
神社の境内から採取した土もあるのだから「礼拝堂」という名を持つ野外作品の近くから土を採ることも自然なことだ。

確かその作家の本があったはず、と思い出した。
林檎にまつわる本に出会ってピンと来れば、とっくり眺めたくなる。
そうした、美しい装丁の1冊が田窪恭治『林檎の礼拝堂』だった。

田窪恭治林檎の礼拝堂-A.jpg
田窪恭治『林檎の礼拝堂』集英社、1998年

◆美術家・田窪恭治(1949〜)がフランスのノルマンディー地方のファレーズという町からさらに5km離れた小さな村の古い礼拝堂を作品として再創造するプロジェクトを本にしたものだ。

サン・マルタン・ド・ミューという人口380人の村にあるサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂は1480〜1500年頃に建造。廃墟と化していたこの礼拝堂を、田窪は家族挙げて現地に移住し、10年という時間をかけて再生した。

本のカバーでその一端が伺えるように、外から差し込む光が床に息づいている。
壁には地元の名産である林檎が描かれた。
「林檎の礼拝堂」という別称が付されたゆえんである。
入り口正面に見える太い幹は、礼拝堂よりさらに100年ほど古いというイチイの樹だ。
世界史に出てくる百年戦争の時代からここに生えていることになる。

◆プロジェクトはTVでも紹介されたというが、残念ながら見ていない。
この美しい礼拝堂に行ってみたいと思うが、実現は難しいだろう……と思っていたら、彫刻の森にその箱根ヴァージョンがつくられたのだ(2012年)。

◆箱根ヴァージョンではこの礼拝堂と同じ広さと同じ鋼材の床を敷き詰めた空間が作品となって目の前にある。観る者は礼拝堂の正面入り口に立つことになる。

屋根がない。この本の40pにある「すべての屋根をいっそのこと取り払ってしまうことこそ、礼拝堂が新しく生き生きと生まれ変わるために、いちばんふさわしい姿という結論に達した」というコンセプトを、箱根ではそのまま実現させたのだろう。

*実際のサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂は堂内での催事が可能なように屋根を載せたかたちだ。ただしもともと載っていた素焼き瓦に加えて光を透す6色のガラス瓦を屋根の半分に配していくことで、外の小鳥や樹木の揺れが感じられる場として再創造した。
こうした解決は、当初の考えー内と外の区別を無くし、中の壁面に描き出した林檎のイメージだけを空中に立ち上げたいーという目的を充たすものだ。

126ページには次のような言葉もある。

いわばこの礼拝堂は、神と交信するためのものではなく、われわれの目の前に広がる現在の風景と交信するための装置なのかもしれません。

*******

本の105ページで田窪は、堀田善衛が紹介したバルセロナ大の古典学者のことばがずっと気になっていた、と書いている。それは、
「現代人は未来は前方にあるものと考えるが、昔のギリシャ人は未来は背後にあり、過去と現在は前方にあるものと考えていた。しかし見る眼がなければ遙か向こうの過去は見えない。」
というものだ。

これについて田窪はつぎのようにコメントしている。

豊かな感受性を持つ人々はいつの世も、遥か前方にある過去の記憶を蘇らせ、背後に続くであろう未来に対して、人間という生物が住んでいた世界の記憶を刻み続けていくのでしょうか。

過去と現在を見る眼を持つ者が未来の先頭に立つ、という田窪の自負と覚悟のことばのように思う。
但し自意識とか個我などという不自由なものとは無縁で、過去から受け取ったものを次々糸を紡ぐ蚕のように繰り出して今現在を生きているのが我々、ということになるだろう。

*******

◆画像を載せた公式サイトを下に紹介しておく。
田窪恭治公式サイト
http://polishwork.jp/takubokyoji/profile/index.html
林檎の礼拝堂 箱根ヴァージョン」は↓
http://polishwork.jp/takubokyoji/information/index.html

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◆その後、田窪氏は日本国内のさまざまなプロジェクトに携わっている。
いくつかその様子を下に紹介する。

林檎の礼拝堂琴平山再生プロジェクトのインタビュー(聞き手/ルポライター津川宏幹)。
https://www.ntt-f.co.jp/fusion/no30/tokusyu/tokusyu.htm

☆陸前高田市、津波被害を免れた松月寺で寺の周りに実る林檎を描いた六曲一双の屏風制作
http://ameblo.jp/rikutaka-pact/entry-11399587827.html

☆今年9月23日には牟礼駅待合室にリンゴの大壁画を完成(しなの鉄道北しなの線:長野県上水内郡飯綱町):信濃毎日Web
http://www.shinmai.co.jp/news/20150923/KT150922SJI090007000.php

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◆彫刻の森「淺井裕介−絵の種 土の旅」展については2015年10月5日の記事を参照
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/194


この記事のURL
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/198
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