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松林尚志「魂魄」[2021年04月30日(Fri)]

◆松林尚志『初時雨』から、ずばり「魂」を取りあげた一篇を。



魂魄   松林尚志

   生者為過客 死者為帰人
    天地一逆旅 同悲萬戸塵  李太白


鬼は帰なり
中国では鬼は死者のことだという
死者は魂魄となって帰っていくのだ
魂は雲 魄は晒された白骨
死者の魂と肉体は離ればなれに一方は天へ昇り
一方は地に帰っていくのだ

 新鬼煩寃旧鬼哭 天陰雨[湿] 声啾啾

杜甫が戦場のあとに聞いたのはまだ中有をさ迷う死者の声であったか
しかし私の聞く鬼哭は決して死者ではない
おには生きて私のなかにいる
姿を隠した落魄した隠(おに)
わたしはおにがすすり泣くのを聞く
おにはかつて私のなかで雄雄しく猛猛しい荒らぶる神ではなかったか
私は修羅を駆け抜けてきたのではなかったか
いま汚辱の記憶のなかで鬼は見る影もなく落魄し
異形の相貌を隠している
決して姿を現してはならない暗闇に棲んでいる
しかし修羅を生きる私のなかで鬼は不意に出没する
私は鬼に掠めとられる
鬼が私か私が鬼か分からないすばやさで
鬼は帰してやらねばならない
鬼は肉体から癒されねばならない
雲と水の光り合う微塵の果てへと


『初時雨』(砂子屋書房、2020年)より



【引用者注】
(1)エピグラフとして引用された李太白(李白)の漢詩は「擬古十二首」と題するものの其九の前半で、訓読と大意は以下。

生者は過客たり 死者は帰人たり
天地は一逆旅(げきりょ) 同悲せん萬古の塵と

生きている者は旅人で、死者は旅を終えて帰った者。
我々が棲息する天と地の間は一軒の宿屋のようなもの。
ともに悲しもう、永久に塵のごとき我々を。

(2)詞章中に引用された漢詩は杜甫「兵車行」の結び二句。ともに七言で、引用は[湿]の一字を欠く。
それを補って訓読と大意を記す。

新鬼は煩寃(はんえん)し旧鬼は哭し
天陰(くも)り雨湿(うるお)うとき声啾啾(しゅうしゅう)たり

新しい亡霊たちはもだえうらみ古い亡霊たちは泣き叫び、
天がくもり雨にしめるときには彼らの泣く声が切々とひびく。


◆一般に「魂」は精神の主であり、「魄(ハク)」は肉体の主。死ぬと魂は天にのぼり、魄は地上にとどまる死者の白骨、とされる。

内なる「鬼」が出没する己の半生を語る。荒々しく駆け抜けてきた前半生、そして落魄して鳴りを潜めたかと思える後半生――しかし「鬼」は隠忍しているに過ぎず、老いてなお修羅を生きる我を翻弄し拉し去ろうとする。
なればこそ、我が亡き後は魂も肉体も帰るべき所へ帰らねばならない。
雲と水とが反射し合うところ=天と地のあいだに、微塵となって。





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