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愛の母子像ー1977年9月27日[2015年09月26日(Sat)]

1977年9月27日

◆77年は新米教員として茅ヶ崎の高校に赴任した年だ。

この年の9月27日、午後1時17分頃、米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属のRF-4Bファントム偵察機が空母ミッドウェーに向けて発進。
離陸してまもなく左エンジンから火災を起こして横浜市緑区荏田町(現在の青葉区荏田北)の住宅地に墜落炎上した。9人が死傷、数十戸棟が炎上・全半壊する大惨事となった。
パイロットは墜落前に脱出したが、土志田和枝さんの長男・裕一郎君(当時3歳)と次男・康弘君(1歳)は翌日亡くなり、母・和枝さんは全身に火傷を負い、4年4カ月の闘病の果てに31歳で亡くなった。

◆だが、この事故の概要を知ったのはずっと後のことだ。

やがて和枝さんの父・土志田勇さんが母子像を建立したいと横浜市に働きかけている話を聞いた。
公園法をクリアしない、という理由で難航しているとも。
不可解なほどに頑なな市の態度だったが、今思えば日米地位協定の壁がここでも立ちはだかっていたと分かる。
市も防衛施設局も米軍に対して国民の側に立った要求をぶつけることは、ついぞない。


770927ファントム機_0002-A.jpg
墜落したファントム偵察機が厚木基地を離陸した直後の写真。
左噴気口から炎が異常に噴き出ているのが分かる。
 *土志田勇『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』より。
 (七ツ森書館、2008年1月発行。『「あふれる愛」を継いで』を改題した新装版)

◆パイロット2名は緊急脱出しパラシュートで3kmほど離れた緑区鴨志田町に降りて無事だった。
約20分後、海上自衛隊のヘリコプターが収容して厚木基地に運んだ。
自衛隊の行った活動は、このパイロット救助だけだったのだ。

米軍関係者が現場にやって来たのは事故後1時間ほど経った2時20分頃。
彼ら米兵がまずやったことは、被害者の救出や被害状況の調査ではなく、周辺の人々を事故現場から閉め出すことだった。
怒りにふるえる人々に彼らはニヤニヤしながらVサインをして見せたりしていた(下の写真。同じく上掲書より)。

770927Vサインの米兵-A.jpg

翌日からの現場検証も警察は見守るだけだった。
本当に日本なのか、ここは。ギモンがふつふつと沸く。

★今年、2015年8月24日に相模原市の米陸軍施設「相模総合補給廠(しょう)」で起きた爆発事故も地位協定に阻まれていることをまざまざと思い知ることとなった。2004年の沖縄国際大学への墜落事故も全く同様だった。
 *東京新聞9月25日記事参照
 →相模補給廠 爆発火災から1カ月 地位協定で市に情報来ず
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015092502000276.html

◆◇◆◇◆◇◆

父・土志田勇さんの著書に寄せた作家・早乙女勝元さんの序文によれば、勇さんは和枝さんが亡くなった時(1982年1月26日)に三つの約束をしたという。
1.事故の記録を残すこと。
2.母子像を建立すること。
3.福祉の仕事をおこなうこと。

最愛の娘と二人の孫を喪った悲しみを超えて勇さんは大車輪の活動を進めた。
そうして、これらすべてをやり抜いたのだ。

*******

◆横浜の元町からフランス山に登ると愛の母子像がある。
木漏れ日を受けて海を見下ろしている。
(制作は山本正道氏。山下公園の「赤い靴はいていた女の子」像(79年)も手がけた方だ。)
DSCN1197.JPG
2015.8.9撮影

そこから木立を抜け出た先にバラ園がある。
外人墓地方向にバラ園をゆっくり進むと、「カズエ」と名づけられたバラに出会う。

生け花店を営んでいた勇さんが、娘の名を付けたバラの花をと願って、新品種の育苗を依頼して生まれたもの。淡いピンクの美しいバラだ。
勇さんは、60回にも及んだ娘の手術のために皮膚を提供してくれた人たちに、このバラの苗をお礼として贈ったという。

140525カズエ001-C.jpg2014年5月撮影

3つ目の約束も社会福祉法人・和枝福祉会として立ち上げ軌道に乗せた勇さんだったが、先年亡くなった。
ただただ頭が下がる思いだ。

◆講談師の神田香織さんがこれを「哀しみの母子像」として講談にし、全国で語り続けている。
 *神田香織公式サイト参照
 →http://www.ppn.co.jp/kannda/sakuhin/boshizo/bosizo.html

◆◇◆◇◆◇◆

土志田勇著米軍ジェット機で-A.jpg
土志田勇『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』
(七ツ森書館、2008年1月発行 『「あふれる愛」を継いで』を改題)

*他に
土志田和枝『あふれる愛に』(新声社、1982年。和枝さんの没後、その日記を中心にまとめたもの)
早乙女勝元『パパママバイバイ』(草の根出版会、1979年)などがある。

*また、「はまレポ」というサイトに、吉岡さんという方が事故の経緯と現在の現場周辺を丁寧に取材した2013年2月18日の記事があり、新たに教えられること多かった。
謝して以下にリンクを付す。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=1654

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