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リルケ/古井由吉『ドゥイノ・エレギー』4より[2020年12月30日(Wed)]

古井由吉訳のリルケ『ドゥイノ・エレギー』の4から――


一体、死すべき者たちは、人間たちは、われわれのこの世で為すすべてがいかに口実に満ちているかを、推し量れぬものなのか。
すべてはそれ自体ではないのだ。幼年の時間を振り返るがよい。そこでは、さまざまな姿かたちの背後にはただの過去以上のものがあり、われわれの前方には未来というものがなかった。
いかにも、成長はしてきた。時には、大人であることよりほかに何もなくなった者たちのことを思って、なかばはそのために、早く大人になろうと急ぐこともあった。
それでも、たった一人で行く時には、なお持続するものに自足し、世界と玩具との中間にはさまる時空に、太初より純粋な出来事の場として設けられた境に、あったではないか。




古井由吉『詩への小路』196頁(書肆山田、2005年)。
ただし適宜改行を加えてある。転記しながら、散文家としての訳者のことばの連ね方を、読み手の理解の届く限りで読み下しておきたい気分になったためだが、ご容赦を。

◆第1歌において天使、第2歌において愛しあう者たち、第3歌では母なるものを歌って来て、この第4歌では、子供である「私」の宿命について歌う。

「すべてはそれ自体ではない」という一句は、全宇宙の運行の円環を視たと信じる子供の幻想を打ち砕いて余りある。予告無しの死の訪れを意味する。
彼が視たのは世界のごく一部で、「大人であることよりほかに何もなくなった者たち」から見ればいずれ手放すおもちゃに過ぎなかったとしても、子供が信じたことの純粋さは揺らぐものではない。それをどこまで信じ続けるかだけが問題であり、信じ続ける限り彼は正しく、かつ真実の側(真実を追究する側)にいる。


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