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〈石の音に耳を傾けて〉―串田孫一「甃」[2020年12月02日(Wed)]


甃   串田孫一


石を踏む
石が音を立てて
私を迎えるのか拒むのか
また石を踏む
昨夜の氷雨が
石の凹みにまだ見える
石は四角に続き
枯れ枝越しの
朝の光が
石の音に耳を傾けている
甃の道が
少し坂になる


詩集『日曜日の朝』 (広論社、1980年)より


◆FM東京で日曜の朝に放送されていた「音楽の絵本」で作者自身によって朗読された詩の一つ。
これは1973年の初めに放送で朗読されたものだ。

昨日の久保木宗一「ただの石」が生の表徴であったのに対し、串田孫一のこの詩では、石は自分の足が踏んでいる石畳の石である。「私を迎えるのか拒むのか」、いずれにせよ、石は私の外部にある。
石が返してくる感触を足裏で確かめながら「私」がやろうとしていることは、石から聞こえてくる音楽を聴くことである。

その舗石を歩む「私」は、言ってみれば、丹念につづられた音符の上を歩いて行き、石畳が紡いでゆく音楽を聴こうとしている。石材の連続が自然の光の中で見せる変化が、リズムや和音を生み、音楽を奏でているわけである。

四角に切り整えられた石畳は人間の手が刻み出し、敷きつめて造り上げたものであり、石畳の緩やかな勾配も人の手がそのように造形したものだ。
自然の中から切り出された素材から音楽が生まれ、それは生成しながら常に自然へと還流している。石の凹みに光る昨夜の雨、光を手繰るように目を上げていけば、葉を落とした木の枝や黒い幹の向こうに冬の朝の太陽。次第に高潮してゆく気分。

わずか12行の短詩だが、一つの楽章を導かれてゆく感じがある。

モネ_0001.jpg

*この詩集、全編が12行でつづられている(!)。番組の時間配分に合致する長さということだろうが、そのスタイルを何年も続けるというのは、みごとな職人の技である。


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https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1787
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