ウンガレッティ「重さを失うと」[2020年10月25日(Sun)]
むらすずめ
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重さを失うと ウンガレッティ
オットーネ・ロザーイ*に、一九三四年
赤児みたいに一つの神が笑えば、
雀の群れがさえずる、
枝から枝へ踊り狂って、
一つの魂が重さを失うと、
牧場(まきば)はやさしく映えて、
あの慎みが瞳に甦る、
両手は木の葉にも似て
中空(なかぞら)に狂喜する……
誰が恐れようか、誰が裁くのか?
河島英昭・訳
『ウンガレッティ全詩集』(岩波文庫、2018年)より。
*オットーネ・ロザーイ(1895-1957)はフィレンツェ生まれの画家。「郷土派」といわれる彼の風景画に触発された詩であろうか。
◆詩集『時の感覚』の中の〈愛〉という標題を持つ詩群の一つ。
須賀敦子は『イタリアの詩人たち』のウンガレッティの章で次のように書いている。
おおよそ死ほど、イタリアの芸術で重要な位置を占めるテーマは他にないだろう。この土地において、死は、単なる観念的な生の終点でもなければ、やせ細った生の衰弱などではさらにない。生の歓喜に満ち溢れれば溢れるほど、イタリア人は、自分たちの足につけられた重い枷――死――を深く意識する。彼らにとって、死は生と同様に肥えた土壌であり、肉体を持った現実なのである。
須賀敦子『イタリアの詩人たち』~〈ジュゼッペ・ウンガレッティ〉p.49(青土社、1998年)
須賀の文章は、ウンガレッティが第一次世界大戦に従軍し、塹壕の中で戦友の屍の横で一夜を過ごした体験から生まれた詩「徹夜」(1915年)について述べたものだが、20年近くを経て書かれたこの「重さを失うと」は、まさに(詩句通り欣喜雀躍というべき)生の歓喜が死と一体のものとして表現されている。
数年後、愛し子を喪うことになる運命を知るはずもなかったのだが。
★ウンガレッティの他の詩…「夢うつつに」【2019年8月24日】
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1330