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〈大気の中に分け入る〉[2020年07月04日(Sat)]

DSCN3780.JPG

散歩道わきのグラウンドに若者たちが戻って来た。およそ4ヶ月ぶり。

*******

物を完全なままにたもつ
     マーク・ストランド
 訳:長田弘


野のひろがりのなかで、
ほくは
場所ふさぎだ。
いつだって
それは
本当のことだ。
どこにいようとも、そこに
要らないものが、ぼくだ。

だから歩くとき、ぼくは
大気のなかに分け入る。
すると、大気が入り込んできて
つねにぼくの身体のあった
空間を満たす。

誰の行動にも
理由がある。
ぼくは行動する、
物を完全なままにたもつために。



須賀敦子の『本に読まれて』(岩波文庫、2001年)が長田弘『詩は友人を数える方法』(講談社、1993年。のち講談社学芸文庫、1999年)を取り上げていて、拾い読みしていたら、上のマーク・ストランド(1934-2014)の詩に出会った。

〈Z ルーフレス・スカイ〉という章。
アメリカのインディアナ州、どこまでもつづくトウモロコシ畑を車で走りながら、トウモロコシ博士というべきバーバラ・マクリントック(1902-1992)という分子生物学者の言葉をかみしめる。

 ―― 根本的にいって、すべてのものは一つなのです。ところが、私たちがすることといえば、細分化をおこなうことなのです。しかし、分けられたものは真実とはちがいます。私たちの物を見る見かたは人為的で、実際にはあるはずのない細分化に満ちています。……
私たちは、細分化された科学の技術をもちいて、今日じぶんたちがその一部である世界を恐ろしく損ないながら、それでも平然としているのです。…… 


この引用に続いて、昔ながらの暮らし方を続けているアーミッシュの人々の古い農場で木の馬車に揺られ、穏やかな時間に身をゆだねながら紹介するのが上掲の詩だ。

◆世界からの疎外感をうたっているのではない。その逆だ。
野の広がりや世界を充たしている大気――「ぼく」はその一部なのだ。

トウモロコシの一粒に過ぎないという謙虚さと、自分の行いが世界をより完全に保つようにはたらきますようにと念じる気持ちが揺るがないならば、世界の中の小さなごく一部に過ぎない「ぼく」の中に大気が入って来て、全く自由な生き方をさせてくれるのだ、と。



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