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森川義信「勾配」[2020年06月29日(Mon)]

DSCN3769ヤブカンゾウ.JPG

ヤブカンゾウ。この時期、用水路に身を乗り出すように咲いている。
別の場所では下の様に、流れに花が浸かってしまっていた。

DSCN3751.JPG

漢名「萱草」の音読みで「カンゾウ」とのこと。
「萱草」は訓読みでは「わすれぐさ」で、立原道造の詩集『萱草に寄す』が思い合わされるが、そこで詩人がイメージしているのは同じワスレグサ属でも可憐な黄色のユウスゲの方だろうか。

*******

勾配  森川義信

非望のきわみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向って
誰がこの階段をおりていったか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるように悲風はつんざき
季節はすでに終りであった
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささえ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまっているのだ


鮎川信夫「現代詩との出合い」(思潮社、2006年)より。
「勾配」の初出は1939年11月の『荒地』第四輯。

◆鮎川信夫は詩友・森川義信(1918-1942 ビルマで戦病死)のこの詩を繰り返し紹介して来た。
鮎川はこの詩に「ある原型的なもの」を感じたという。
そうして、彼の詩について次の様に記す。

〈根なくして生きなければならなかった私にとって、森川の詩は、大きな慰めであり、希望であった。これが単なる論理であったら、あの苛酷なナショナリズムの嵐の只中で、こっぱみじんに打砕かれてしまったかもしれない。〉

こぞってナショナリズムに傾斜した時代にあって、水のうねりにさらわれぬように根を張ろうとしながら道のはじまりを示す者。それが鮎川にとっての森川という存在であったとするなら、一方、鮎川自身は、その根が自分にはなく、〈過去と未来の中間に佇んで動かない人間〉だと自覚しながら、〈世界との接触は、けっして失っていない〉(鮎川「現代詩の出合い」)ことを頼りに、未来を見つめることを己に課した者、ということになる。

不在の友に、友が開示した道を自分の足裏は捕らえているか、と問うことは、即ち自らに問い直すことであり続ける。


*鮎川信夫と森川義信については過去に次の記事で触れた。

星のきまっている者は(1)[2016年7月7日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/321

星のきまっている者は(2)[2016年7月8日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/322


*森川義信の作品は青空文庫に50篇近くが公開されている。
作家別作品リスト:No.1652
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1652.html





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https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1631
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