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吉野弘「生命は」[2020年06月21日(Sun)]

DSCN3700.JPG

土日の2日間は天気に恵まれた。
昨日の昼前に上の様に母木の傍らに置いたコブシの子どもたち、残っているものに水やりを、と思って如雨露を持って行ってみたら、22鉢すべて引き取られ、トレイは空になっていた。

安堵した。短い付き合いだったが清々しい出発を確かめたような気分。
この近在の方の手元で大きく育っていくことだろう。幸あれかし。

*******


生命は   吉野弘


生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている

すぐ近くまで
(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


小池昌代編『吉野弘詩集』(岩波文庫、2019年)より


◆良く知られた詩。
世界は他者同士のゆるやかな結びつきで成り立っていて、時に虻と花のように、あるいは虻と彼の飛行を支える風のように、それと意識せぬまま命の連鎖を支えている。
そのことを「らしい/かもしれない」とつつましく歌う。

我々はどこか欠けた部分を持っている不完全な存在。
だがそれをそのままに受けとめる見えない蓮の葉の上にいることは信じて良い、という思いに導かれる。
「拈華微笑(ねんげみしょう)」ということばが思い合わされる名詩だ。




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