一目盛り刻む[2020年05月14日(Thu)]
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永遠の目盛り 嵯峨信之
たれも自分の生命の終りについて知つていない
その計量できない全時間のなかで
ひとは遅すぎもせず早すぎもしない仕事を続けている
村びとが熟れた麦の刈入れをいそぐのを眺めながら
あるものは大きな樹蔭の道を歩いて行く
一つの生命は豊かな稔りを収穫し他の生命は何処ともなく道を急いでいる
すべて日常の殻の中にそつと這入りこむ
そしてまた何かの種子となって四方に飛び散つて
つつましく匂やかに大地を富ましている
たれもがそれぞれの生命をふかめ熟れさせる
すべてが永遠なものの目盛りとなつて刻まれるのだ
小海永二・編『現代の名詩』(大和書房、1985年)より
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◆42回目の記念日ということで、花の小さな鉢植えを一つと何種類かの総菜(食べ慣れたもの数品と食したことのなさそうなもの数品)とを買って来て食卓に獺祭のように並べて見たら、夕餉としては多すぎた。お腹が空いたときの買い物は、気をつけないと必要以上に買ってしまう。
相棒にもたまには贅沢をと肉料理を小分けにしてやると急に食欲亢進して、我々が食事を終えてからもせがむことしきり。明日お腹を壊さねば良いけれど。
唯一手をかけて焼いた魚は、明朝のおかずとしてまるまる残った。
翌日食べるものがあるというのもちょっとした贅沢ではある。
◆人が刻む目盛りはたかだか数十年で、その刻み目もボヤけて数えることすら億劫になるばかりでは、幕引きの時に「つつましく/大地を富まして」役に立つとも思えないが、せめて互いに邪険にせず、邪魔にもされずに在りますように。



