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高見順「天の椅子」[2020年05月10日(Sun)]

DSCN3312ホオジロ囀る.JPG

ホオジロが桜の枝でしばらくさえずっていた。
よく通る声。
縄張り宣言だというが、辺りを見下ろすような居丈高な感じは全く無く、むしろはるか高みにいます造物主に報告しているかのようだ。

*******


天の椅子  高見順

空を見ていると
一列の椅子の列がありありと見えてきた
点のような椅子からはじまって
目立たぬ程度にだんだんと大きく
遠くへ行くほど少しずつ大きく
今はない儀仗兵(ぎじょうへい)のように凜々(りり)しく
また図形のように純粋で謙虚に
ずっと向うまでつらなっている
同じ形のごくしっかりしたその椅子には
どれにも人は腰かけていないが
その椅子に似つかわしいどんな人も想像されない



大岡信[編]『言葉の流星群*明治・大正・昭和の名詩集*』(集英社、2004年)より


◆天の「椅子」は「遠くへ行くほど少しずつ大きく」、並んでいるのだという。
絵画的な遠近法とは全く逆である。

遠い椅子ほど、その手前の椅子の者より大きな誰かがそこに座ることになっている、ということになる。
そうして、椅子に座ることのできる者たちは、一番手前の点のような椅子に座る者からしてすでに我よりも大きい存在である。
そうして椅子に座るはずの者たちは、数限りなく存在する。
ところが、そこに人は座っていない。椅子にふさわしい人がいるだろうか? といくら考えてもそれは居ないのだという。

おそらく、地上に生息する人間たちは「天の椅子」に座るに値しないからだ。
地上において「椅子」とは、地位や、能に応じて与えられる待遇をも意味する。
「恋々と」それらに執着する人々は、「天の椅子」とは永遠に無縁だろう。

であるならば、「天の椅子」に座るべき者とは、すでに彼方へと立ち去った者たちである(人間だけを意味しない)。

◆「わたし」に「天の椅子」が見えているのは、世俗の価値に重きを置く人間ではないからだ。
いわば永遠に憧れ続ける者として椅子に座る者たちの方へ足を運ぶのだが、そのたびに憧れの対象は遠く、だがますます大きく見えるのである。



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