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石原吉郎「方向」再読[2020年03月28日(Sat)]

DSCN2942.JPG
ユキヤナギ

*******

◆COVID-19、あちこちに蟠踞の様相を呈しつつあり、人間の方は蟄居の日々が続く。

どこへ向かうか分からない時にたまたま開いた文庫本に「方向」という題の一篇の詩。
以前に一度取り上げたことがある詩だが再掲しておく。

その時には、運動とそれがはらむエネルギーを表現したものと理解して、希望を示唆されたように読んだのだけれど、世界が別の相貌を露わにしている2020年3月末にこの詩を再読すると、あの時の「希望」は間違いだったとは言わないまでも、実は錯覚の類いで、むしろ全く反対に「絶望」の、それも心底深いくろぐろとした「絶望」の表現であったのだ、と思うに至った。変わらないのは運動する主体というべきものが、動いている間も消え失せた後も真の実体を持たないこと。
詩の終わり近くに「無人の円環」と記されていることがその証左である。


方向   石原 吉郎

 方向があるということは新しい風景のなかに即座に旧い風景を見いだすということだ 新しい位置に即座に古い位置が復活するということだ ゆえに方向をもつということは かつて定められた方向に いまもなお定められていることであり 彷徨のただなかにあって つねに方向を規定されていることであり 混迷のただなかにあって およそ逸脱を拒まれていることであり 確とした出発点がないにもかかわらず 方向のみが厳として存在することであり 道は制約されているにもかかわらず 目標はついに与えられぬことであり 道を示すものと 示されるものがついに姿を消し 方向のみがそのあとにのこることである
 それは あてどもなく確実であり ついに終わりに到らぬことであり つきぬけるものをついにもたぬことであり つきぬけることもなくすでに通過することであり 背後はなくて 側面があり 側面はなくて 前方があり くりかえすことなく おなじ過程をたどりつづけることであり 無人の円環を完璧に閉じることによって さいごの問いを圏外へゆだねることである


『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫、2005年)

***

◆旧記事は2018年12月23日の【「石原吉郎の「方向」】
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1086


この記事のURL
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1538
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