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Nスペ〈”パンデミック”との闘い〉[2020年03月22日(Sun)]

「いつもの学校じゃない。もう行きたくない。」
――今朝の新聞にあった小学校1年生のことばである。
休校中も低学年は一時預かりで受け入れてくれるというので登校したら、自習を指示され、立ち歩きできるのはトイレに行くときだけ、友だちとおしゃべりしたら先生に注意されてしまう、とのことだった。(3/22朝日新聞)

***

◆今日のNHKスペシャル「“パンデミック”との闘い〜感染拡大は封じ込められるか〜 」はモヤモヤをだいぶ解消してくれた。
長い闘いになる、という専門家の覚悟も伝わってきた。楽観禁物、やれることは自前でやる、という当たり前のことを再確認した。

◆クラスター対策の中心にいる押谷仁・東北大教授は「第2波の感染拡大が進行中で、クラスターを掌握していくことが大流行に陥らないためのカギ」と言う。

専門家が説明するこうした機会をもっと多く設けるべきで、首相によるこれまでの会見は、むしろ時間のムダであったという印象さえ受ける。
「エビデンス」(行政が最近頻用する語だ)に基づかない「自粛要請」がここまで混乱と社会機能のマヒをもたらしている以上、2度目の首相会見は同じ轍を踏んでいるヒマはなかったはずである。

対策チームの立ち上げから各自治体との連絡、情報の発信・集約に至るまで政府の対応は後手後手に回った。

22日の朝日新聞「耕論」に山本庸幸(つねゆき)・元内閣法制局長官が「厚労省は他省庁と比べて地方厚生局の規模が小さく、都道府県と直接やりとりする形で厚生行政を行う。各地に、全国的視点で動ける人材が数多くいるというわけではない。」という話をしていた。
してみると、昨日取り上げた「大阪府・兵庫県における緊急対策の提案(案)」が徹底を欠いた印象であるのも、そうした事情によるのかも知れない。
メールでのやりとりに加えTV会議も可能な時代に、厚労省から大阪・兵庫に直接赴いて案を手渡した、というアナログ的なやり方も、クラスター対策チームの必死の取り組みに比して悠長な気がする。
とすれば、このさき感染者集団が多発した時に大丈夫なのか、と心配になってくる。

◆押谷教授は、把握できていないクラスターが視野の外にあるかも知れない、と警戒心を隠さなかった。また、このウィルスは、自分を生かすためにさほど重症化させず、姿を見せないまま感染を拡大して行く「賢いウィルス」だという話していたことも不気味である。

◆番組は我々の「行動の変容」が必要だ、ということを繰り返し述べていたが、具体的にどうすべきなのかを伝えるには成功していなかった。
出かける人が10〜20%減ったという程度では感染を減らす上で目に見える効果はない、という話もあった。であるなら、出かける回数が何%減ればどの程度の効果が見込めるか、という具体的な数字も示せるはずではないか?

厚労省クラスター対策班は、大阪・兵庫に対して、もし爆発的な発生になったら、という試算を示した。
悲観的な数字とバランスを取るためには、プラス材料となる数字も示す方が望ましい。
単に「不要不急の外出」という抽象的な言い方を繰り返すのでなく、例えば週に3回行っていた食料の買い出しを2回に減らせば、何%寄与できる、あるいは、感染拡大を抑え上で休校措置は何%貢献している、という風に、数字を挙げられるものは示せば良い(数字は〇〇〜△△という幅をもったもので一向に構わない)。

◆進行中の事態であるからこそ徹底した情報公開が必要で、TVは、台湾の対策チームのトップが人々に状況の説明を連日行い、パニックに陥らないよう丁寧な広報活動をしている様子を紹介していた。休校中の学校が感染予防策の周知と励行に努め、学習の遅れを補うための在宅学習システムも直ちに整備して行ったなど、示唆に富むものだった。


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