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見えているものさえも見ないで済ませようとする[2020年02月26日(Wed)]

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◆ドラッグストアは開店したばかりなのに、ごった返していた。
がらんとした棚には「マスクの入荷、本日は予定がありません」との貼り紙。
消毒用エタノールも棚から消えたままだ。

気がつくとウェット・ティッシュの棚も同様になっている。

店にあふれているのはお年寄り。
その中に「基礎疾患」のある高齢者も少なくないはずだ。
何のことはない。
レジに並んで財布を取り出した前のおじいさんも、後ろでカゴを持ち直したおばあさんも、我が戦友というべきなのだった。

◆敵は新型ウィルスだけではない。
無能ぶりが露顕しつつある厚労省官僚およびそれを率いる政権中枢の者たちもまた、味方のフリをした仇であることがハッキリしてきた。

◆COVID-19、この1、2週間がヤマ、と政府専門家会議のご託宣があったが、政府が公表した手引きは一般的なものばかりだ。今さらそんなものを示されてもなあ。

発熱が続いているのに「検査基準を満たしていない」として検査をしてもらえぬ気の毒な例が続出しているという。検査体制の遅れだけでなく、感染者数を低く見せたい政府側の思惑があるのではないかという指摘がある。

政府の不作為について、専門家から「見えないものは無かったことにする」という指摘があった。
しかし、今や「見えているものさえも見ないで済ませようとする」しかないコントロール不能状態に陥っているのではないか?
このままでは旬日を経ず巷に怨嗟の声があふれ出すだろう。

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この街のほろびるとき  安藤元雄


 この街はやがてほろびるだろう。それは間違いのないことだ。いまさら予言者を呼ぶまでもない。あらゆる街は建てられたときからほろびに向かうと決まっている。
 だが誤解しないでほしい。ほろびるのは街であってあなたや私ではない。いや、滅びるのはこの街であって街そのものではない。なぜなら、街そのものとは、建物でもなく広場でも地下道でもなく、つまりはこうしてここにいるあなたや私にほかならないのだから。
 だとすれば、遠慮なく、雑踏の中でお互いにたっぷり見つめ合うとしよう。私はたぶん明日にはここを立ち去るが、そのときいなくなるのは私ではない。無数の街の中の一つの街が、閉じて、そして消えるだけだ。それまではまだ暫く、私はここにいて、あなたがいて、頭上にはこの街が高々とそびえている。 


 *『この街のほろびるとき』(小沢書店、1986年)所収。
  小池昌代/林浩平/吉田文憲・編著『やさしい現代詩』(三省堂、2009年)によった。




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