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記録としての「クラシック総目録」[2020年02月08日(Sat)]

DSCN2719ヒメシャガorシャガ?.JPG
ヒメシャガという花だと思うのだが、この季節でも咲くんだろうか?
花数は少ないが、ともかく咲いていた。

*******

◆所在ない午後の数時間を、小さな文字とにらめっこして過ごした。
机上、左に1982年の「作曲家別 クラシック・レコード総目録」(音楽之友社)。
紙はすっかり茶色に日焼けし、表紙も失われ、しかも3冊にバラケてしまっている。
捨てないで来たのは、手もとにあるテープ、レコードやCDの目録として使って来たからで、さらにこの目録に専門誌で評家が推薦する「名盤」というのをabcの3段階で書き込み、試聴指南としても利用してきたからだ。

しかし書名が示すように、38年前はCDが出たばかりで、未だ未だレコード盤が主流・本道であった。CDのシャリシャリした薄っぺらな音を軽蔑する人も少なからずいた。

◆机の右には同じ目録の2001年版だ。タイトルは「作曲別クラシックCD&LD/DVD総目録」と改まっている。「レコード」という言葉は博物館入りしたかのようである。

これを古本屋で買ったのは数年前。ボロボロになった82年版の後継を探してようやく2001年版を古本屋で見つけた。
書名から「レコード」は消え、2001年版にあった「LD」(レーザーディスク)もそれからまもなく姿を消した。

*LDプレーヤーを買いLDディスクも2,3枚は買ったように思う。子どもがお気に入りだった若き日のポゴレリチと、音楽のレポートを書くのに必要だとせがまれて買った「トスカ」。あと、シトコヴェツキーという人が編曲し演奏しているバッハ「ゴルトベルク変奏曲」の弦楽合奏版。
ディスクは今も手もとにあるがプレーヤーはリモコンが壊れてから動かしていない。

◆その後もCDは往年のレコードのCD復刻版も含め数限りなく出て、埋もれていた作品をピリオド楽器(古い時代の楽器)で演奏した盤もさまざま登場したはずだから、本来は最新の目録を買った方が良いと思ったが、いずれにしてもクラシックの目録だから、曲が古びるわけじゃなし、2001年版で十分だと割り切った。

◆さて新旧のクラシック目録2冊を並べて取り組んだのは、1982年版の書き込みを2001年版に書き写すという作業である。作曲者の名前はアルファベット順だから「A~」という作曲家から始まる。

古い書き込みはカセットテープに録音したものが多い。それには小さく[T]の字。
MD(ミニディスク。これも今は博物館入り同然)にダビングしていた時期がしばらくあり、それは[M]。残るはCDの[C]もしくは[CD] 。これに続く録音メディアがあるにしても移行する意欲も時間もないので注記する必要はないのだが、この1,2年の習慣に従って[CD]と書き込む(推薦盤a〜cの注記と区別する必要もあるため)。

◆本日はAのAbel(アーベル)からBのバッハ一族まで、47頁分を書き写した。
Abelという作曲家は記憶にない。目録にAbel,Carl Friedrich(1723-1787 ドイツ)と書いてあって、曲名は目録に記載無いために手書きで書き込んである「ヴィオラ・ダ・ガンバのための5つの小品」。W.クイケンというガンバの名手によるCD(もしくはその複製)が手もとにあることがわかる。
目録はダブりを避ける上でも役に立つ。かつてはそんな日が来ようとは思いもしなかった。

◆転記が終わった頁は破いてリサイクルの紙袋に入れる。
しばらくして旧版1982年版にあった名前で2001年版から消えた作曲家がいることに気づいた。
例えばAdson,Johnという16世紀後半-1640のイギリスの人。「3つの宮廷仮面舞踏会のエア」という曲をフランス国立オーケストラの金管メンバーで演奏したものがあるらしい。手もとにその録音はないし、残りの人生で実際に聴く機会はあるまいと思うのだが、気になる。
「目録」は音楽事典ではないし、載っている曲や演奏は膨大でも、実際に聴いたのはごくごく一部だ。だが、目録から名前を消すことは、作曲者も演奏家も我が手で歴史から抹殺するようで忍びない。そんな権限が自分にあるはずはないのだから。

結局、古紙回収の袋に放り込んだ20枚ほどを机上に戻し、82年版にあった作曲家の名前と生没年だけでも2001年版に転記することにした。

インターネット上に有徳の人が貴重な録音をアップしてくれている時代、その気になればその名に再会することがあるかも知れない。
そんなご褒美を当てにしてすることではないけれど、紙とペンの前奏に続いて、未知の作曲家との奇しき出会いが待っているかもしれない、などと空想するのは悪くない。

趣味の世界の些末事であるが、記録というものの大切さをこの「作曲家別クラシック総目録」は教えてくれる。長い間のデータの蓄積とその更新、というのは地味だが大げさに言えば文華の精髄を記録として残す営みである。
ところが最新版はどうなっているかネットで検索すると、見あたらない。国会図書館のリサーチナビに当たったところ、どうも手もとにある2001年版が最後であったようなのである(イヤー・ブックという名の、その年に出たCDの目録はある)。
「総目録」の再発刊を切望する声も見つかった。労多くして報われることの少ない仕事ではあったのかも知れないが。

***

◆「総目録」はダブリを避ける効用もあると書いた。
国会で追及が続く「桜を見る会」の招待者名簿にもその効能はあったはずで、同じ人物に繰り返し招待状を出す愚をしでかさないためにも名簿を破棄するのは許されない。

1年未満で破棄してしまえば役人たちの優秀な記憶をもってしても反復することは避けがたい。
従って名簿は破棄されていないはずだ。

記録を抹消するのは存在を消すことだ、という感覚に照らせば、これまで招待された人々で、「私たち、抹消に値する悪事に関与しちゃったの?」と思う人は少なくないだろう。
ま、これを悪用した人々がいたことは確かだけれど。





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