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槐多の風景画[2019年12月01日(Sun)]

DSCN2371.JPG
ムラサキカタバミ 今年5月ころにも出会った花だが、花期が長いのか、師走に入ったつづら折りの坂道のかたわらにひっそり咲いていた。

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村山槐多(1896〜1919)は横浜で生まれたとされてきた。現に前2回の詩を収める彌生書房版の『村山槐多全集』(昭和38=1963年初版)巻末の年譜では、以下のように誌す。

明治二九年九月十五日、村山谷助、タマの長男として横浜市神奈川町に生まれた。谷助は山形県村山郡の出で、当時神奈川の中学教師であった。

しかし、美術史家村松和明氏の多年にわたる研究によって、槐多が生まれたのは母たまの故郷・岡崎であることが判明した。
氏によれば、出所届けは岡崎で出されているとのこと。
母たまは出産にあたり、姉たづの嫁ぎ先である岡崎の嶺田家が所有する家を借りて槐多を生んだ由。
岡崎で石材店を営む嶺田家の本家から数戸離れた借家が槐多生誕の地であったことを、嶺田家九代目である嶺田久三氏が証言している。久三氏自身ものちに生まれたこの家について、祖母のカイや母の花子から「ここが槐多の生まれた家」と直接聞いており、「カイが槐に貸した」という語呂合わせのような言葉が嶺田家では語りぐさとなっていたという(村松和明『もっと知りたい 村山槐多 生涯と作品』東京美術、2019年)。

◆村松和明氏のこの本には、これまで知られていなかった伝記的事実ばかりでなく、新発見の槐多作品が多数紹介されており、旧来の槐多像に大幅な変更をせまるものだ。
人物像が殆どと思っていたけれど、風景画もたくさん遺していたことを知った。

たとえば最晩年(といっても23歳)の次のような風景画はどうだろう。


村山槐多「鳴浜九十九里」1918年-A.png
〈鳴浜九十九里〉油彩、1918年頃
村松和明『もっと知りたい 村山槐多 生涯と作品』(東京美術、2019年)より

板に描かれた、24.0×32.5cmという、B4サイズよりもさらに小さな画面だが、空・海そして手前に点在する人々という最少の要素で構成された世界へと見る者を引っぱり込み、水や砂や風や潮鳴りに溶かしてゆく感じがある。 



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