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傾いた緯度の骨[2019年07月30日(Tue)]

DSCN1331.JPG
オニユリ。

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日日の深みで(1) より  金時鐘(キム シジョン)

おしやられ
おしこめられ
ずれこむ日日だけが
今日であるものにとって
今日ほど明日をもたない日日もない。
昨日がそのまま今日であるので
はやくも今日は
傾いた緯度の骨で
明日なのである。
だから彼には
昨日すらない。
明日もなく
昨日もなく
あるのはただ
(な)れあった日日の今日だけである。
 


『猪飼野詩集』より「日日の深みで(1)」の第1連(岩波文庫、2013年)

◆忙しさの中でも手帳の予定表をたしかめたり、出納簿を節目ごとに作る人間ならそれらを踏み台にして少しだけ未来の方を眺めやることもできようが、その日暮らしの人間は、主体を取り戻す時間が寸刻も与えられていない。
時間は少しも彼の自由にはならない。「傾いた緯度」の鉄のような骨(=自分の外部で厳然として運行する時間)が我が背中をグリグリと容赦なく押してくる、その痛みをこらえながら痛みの原因の方を見据えようとする時に目の片隅を影がよぎるのを視る。その時だけ痛みを感じない刹那があるが、それは未来を望見したことを意味しない。
だが、そうした疎外の中に在っても、痛みの原因の方(過去)を見据えようとし続けることは、可能であるばかりでなく、人としてなさねばならないという痛覚として感じられる。ゆえに意識は目覚めたまま、昨日や明日という区切りで安んずることがない。

*朝日新聞朝刊に〈語る 人生の贈りもの 金時鐘〉が連載中だ。

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