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JFK展(2)−ABE首相のスピーチ[2015年04月30日(Thu)]

2015042919340000.jpg

街道沿いの畑に出現した一面の鮮やかな赤紫。
花の名を知りたい。

*******
平和といのちと人権を!
5・3憲法集会


大大大集会となりそうな今年の憲法集会
横浜で開催。
ぜひご参加を。

◆詳しくは「5・3憲法集会実行委員会」のページをご覧ください。
http://kenpou2015.jp/

5月3日(日)12時30分〜15時30分
横浜みなとみらい・臨港パーク
(みなとみらい駅)

◇プレコンサート:12時30分〜ハルノトモ(和太鼓)/岡大介(カンカラ三線)/大島花子(歌)
◆メインステージ:13時30分〜15時30分
  話:大江健三郎/樋口陽一/雨宮処凛・落合恵子・香山リカ・澤地久枝/沖縄から  リレートークほか
◇クロージング・ライブ:15時30分〜クミコ(歌)/こぐれみわぞう(ロックチンドン)

150503憲法集会チラシ_0008-A.jpg


米議会での首相の演説

今日の朝刊に米議会での安倍首相演説全文が英語と日本語の対訳で載った。

それによると「私の名字は『エイブ』ではないが、そう悪い気はしない」と、リンカーンの愛称を引き合いに出すジョークを盛った。
ニューヨークの「I AM KENJI」に始まり、日本のテレビで「I'm not ABE」とパロディによって批判されるに及んだ人質事件への対応をめぐる内外の目を意識したユーモアのつもりでもあっただろう。
しかしアフリカ系のオバマ大統領を戴く現在の米国を訪れながら、我々の知るリンカーンの功績、奴隷解放宣言についての言及や今なお向き合わねばならない人間の尊厳と人権への考察はなかった。

メリーランド州ボルティモアの抗議デモが非常事態宣言が出るまでに激しくなり、なお全土に拡がる世情にあってこれに直接コミットするのは火中の栗を拾うようなものと用心したのは想像できる。

だが、今回の演説で「人権(human rights)」という言葉を繰り返し用いながら、一方で安全保障法制に手を着け、基本的人権の尊重を最大の柱とする日本国憲法の実質的破壊にひた走る首相は、「人権」に最も遠い場所に自分の軸足を置いている。

第2次大戦に触れて若者の痛みや悲しみを情緒的に語りはしても、戦争を起こす主体である人間の存在と国家の責任について語ることはない。

「歴史とは苛烈なもの」という抽象的な言い回しで、酷薄な事実を何万倍にも希釈し忘却の霧の中に拡散させようとする。

「従軍慰安婦」問題については言及せず、回避した。
かろうじて「日本が掲げる新しい旗」の段落で、「紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはならない」と述べるにとどまった。
文脈上、ここから従軍慰安婦問題への配慮を読み取ることは困難だ。

「逃げた」と言っていい。
むしろ1月のカイロやエルサレムでのスピーチ同様、イスラムへの批判として悪用される恐れさえある。

紛争」の英文原文は「armed conflicts」である。辞書によれば「conflict」は遠回しな表現だという。
「戦争」や「侵略」の語を避けたわけだ。
おぼろな英語力で推測するに「co」が語頭に付く言葉は「共に」という意味合いを含む。conflictに「ぶつかり合い」という訳語を当てることも多い。
対等な位置にある者同士のぶつかり合い=軍事的な衝突、それを横から眺める態勢に見える。
だが実際には軍事力においても経済力においても全く非対称の力の差がある中での「戦争や侵略」であり、その戦火の最大の犠牲者は常に逃げるすべ・防ぐ手立てを持たない圧倒的に無力な人々、女性や子どもたちなのだ。

ベトナム戦争終結40年の節目の機会でもあったから、それを意識したメッセージが発せられていればアジアにおける好感度は上がったはずだが…。

虎の尾を踏まないよう、微妙な部分に触れることを避けているわけだが、その先の未来を語る言葉を持ち合わせていないということでもある。

かくて、アメリカ追随というよりは、ジャパン・ハンドラーたちの意向を忖度して(彼らと考えを異にする人々も米議会や国防関係者に少なからずいるにもかかわらず)大事な国益を差し出しながら得意満面の首相、つまりは喜んで拝跪している姿と見る人すらいるだろう。

実際、安保法制を夏に完了させると宣言するに至っては、日本の国会を完全に無視したことになる。米国議会の人々にも不可解に感じた人がいるだろう。
そうしてそれは事実上、現在の憲法を縊(くび)ることにほかならない。

アメリカからの客人のために過剰なまでの饗応・奉仕に努める敗戦国日本のサラリーマンを描いた野坂昭如の『アメリカひじき』を思い出した。

今、差し出そうとしているのは農業であり、それを成り立たせてきた国土であり、国際社会とりわけアジアにおける名誉ある地位であり、換わりうるものが他にあるはずがない自国民のいのち、ということなのではないか。

◆◇◆◇◆◇◆

JFK展の首相のスピーチ

国立公文書館のJFK展の初日(3月5日)、安倍首相はキャロライン・ケネディ駐日米国大使とともに見て回ったというが、その見学にあてた時間は約20分、という。

かくも短時間で一体何を見たのか。

展覧会のテープカットあいさつでは展示資料の一つ、キャロライン・ケネディが幼年期、ホワイトハウスの用紙に描いた花の絵を話題にしているがこれは同展の実現に大きく与った彼女に対して、お礼の意味をこめたもの。

このあいさつでは、佐藤栄作日記や、その公表は20年間すべからずと意見した祖父・岸信介のエピソードなどを省いてでもしっかり時間をかけて見ておくべき資料はあったはずだ。

ここでもやはり「人権」を口にしてはいる。

「ケネディ大統領そしてその御家族が、世界の平和と民主主義と、そして人権のために闘ってきた、その歴史に触れていただきたい」

しかし、その人権にまさしく命を賭けた、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キングの大統領宛の電報や、ケネディ大統領との会談の写真をじっくり見たとは思えない。


JFK展のキング牧師


電報は1962年12月15日のもので、バーミングハムの教会で再び起きた爆発事件について、この時に教会に居合わせた25名もの子どもたちが危うく犠牲になるところであったことを指摘した上で、「これらの暴力行為が野放しにされ、ゲシュタポのような警察官のやり方が続くなら、悲劇的で壊滅的なホロコーストが起こるだろう」と強くケネディに訴えたものだ。


写真は翌年1963年8月28日、あのワシントン大行進(リンカーン記念館前を埋め尽くした20万人以上の人々に向けてキング牧師が「私には夢がある」と演説したことで知られる)が行われた、まさにその日に、キング牧師ら公民権運動の担い手たちとケネディ大統領とがホワイトハウスで会談した時のものだ。下の写真(「JFK-その生涯と遺産」展の図録より)。

JFK展+カザルス_0004 (5).jpg

「JFK展」の開催期間中(5月10日まで)に渡米し首相として米議会で歴史的な演説をするというのなら、こうした人権への視点をこそ前面に掲げることが不可欠だったはずだ。
今回の米議会演説はまたぞろ祖父・岸信介の話に始まり(中盤でも再び想起させ)、結語においてはキャロル・キングの曲を引用した。

かつて小泉純一郎元首相が、ブッシュ(子)大統領に招かれたおり、プレスリーを歌って大統領を唖然とさせたのを思い出し、日出づる島国の民のひとりとして赤面した。

いずれにせよ安倍首相がキング牧師の生涯とその意味を想起することはついになかった、ということになる。

*******

官邸のホームページには3月5日の首相スピーチの全文がアップされている。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201503/05jfk.html

量的にも政府・官僚・ブレーンの総力を集めたであろう米議会演説とは比較にならない。
比較にならないのはその短かさだけでなく、日本語力においてもである。
相当な課題を抱えたスピーチである。

ラフな原稿で挨拶に臨んだのだろう。
口調をそのまま文字にうつしたと思われるテキストだ。

こうした記録が麗々しく首相官邸にアップされたまま2ヶ月近くも放置されているのは日本語ネイティブとして落ち着かぬので、細かいこだわりを承知で、指摘しておく。
早目に、「あいさつ(要旨)」として整序したものに差し替えるのが望ましい。

▼「拝見させていただきました」の過度な謙譲語を乱発。
 →「拝見しました」という簡潔な言い方の方が耳に心地よく、礼をわきまえた大人の言葉遣いとして伝わる。

▼「今回、私もこの展示を見させていただきました。」の「見さす」は誤用でないにしても収まりが悪い。人によっては慇懃無礼な印象を受ける場合もあるのではないか。
使役動詞「見せる」を用いて「見せていただく」がすっきりする。「拝見しました」と漢語に置き換えると品格も漂う。

 *「見さす」をふだん使っていると、2月1日の後藤健二さんの悲報の直後の首相コメントのような間違いもやらかす。
 あそこでは、「テロリストを絶対に許さない。その罪を償わさせるために、国際社会と連携して行く。」と述べていた。
→「償う」は五段活用の動詞であるから使役の助動詞は「せる」が続くのが文法的に正しい。
 「させる」が続くのは下一段「捨てる」など、五段以外の動詞。→「捨てさせる
  
  *当ブログ、「2015年2月1日の朝」参照。→https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/101

▼「佐藤栄作日記の実物を今日初めて見れることができた訳でございます。」の「ラ抜き言葉」。→○「見ることができました」


◆◇◆◇◆◇◆

憲法は誰に、何を保障しているのか
  二つのスピーチがついに語らぬもの


以上、3月5日と4月30日の首相を並べて読むと相当な隔たりがある。
後者が英語で話されたということも違いではあるが、それよりも、いや、そうであるにも関わらずこの二つのスピーチのどちらにもはっきり刻印されているモノの方が重要だろう。

「人権」という言葉を用いながら、その保障が最も必要な「ふつうの人々」、その尊厳に向けるまなざしが感じられないことである。

人間としての権利を獲得する歴史とそれをつくった人間たちへの敬意の完全な不在が際立つ。
むしろそれへの無視がスピーチ原稿の紙に透かしのように埋め込まれていることである。

そうである以上、語られたものよりも、語られなかったものの方がはるかに大切であることは論をまたない。

*******

竹橋の国立公文書館のJFK展の展示室を回って出ると、三つの署名された原本が展示されている。

一つ目は「大日本帝国憲法」すなわち明治憲法、次いで「終戦の詔書」、3番目に現在の「日本国憲法」その原本が目の前にあるのだった。

写真では見ていても、原本を直接見るのは初めてだ。

三番叟ではないが、なにごとも「三」は縁起が良い。
「日本国憲法」のあとに「四つめの何か」が来るのは「吉事(ごと)」である、などと洒落でゴマカすわけには行かない。「凶事(まがごと)」としてお断りする。と、日本語を母語とする者としては切に思うのだ。

日本国憲法VMFQT.jpg
 日本国憲法
 国立公文書館のアーカイブスより
 出典→http://www.archives.go.jp/

◆◇◆◇◆◇◆

DSCF0021.JPG

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