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「自宅療養」という棄民[2021年08月03日(Tue)]

棄民が始まった

◆TVで見慣れた道路が映っていると思って見たら、地元藤沢市の委託を受けた看護師の奮闘を伝えていた。電話等で自宅にいる新型コロナ感染者(200人!)の容態確認に忙殺されていた。

病床が逼迫し自宅待機中の人や自宅療養を余儀なくされている感染者がふくれあがっている。東京では1万2千人を越えたという。重症者は今日の時点で112人(都の基準。国の基準だとこの10倍とみなすべきという声があることは先日書いた通り)。その下の区分である中等症Uは呼吸不全があって酸素投与が必要な患者だ。中等症Tにしても息切れがあり肺炎の徴候があれば入院治療が必要な人々なのに、そうした人たちを受け容れることが困難になっている。
「救命できる命が救えなくなるケースは必ず増える」と最前線の医師の危機感は深刻だ。

政府の感染拡大防止は失敗したと言わざるを得ない。

◆そうした中、スカ首相「重症患者や重症化リスクの特に高い方以外は自宅での療養を基本とする」と方針転換を発表した。これまで「原則入院」としてきた方針からの撤退である。説明のおかしさ、めちゃくちゃぶりは尋常でない。

加藤官房長官は「地域の診療所等が患者把握等をする中で病院に送っていく仕組みを作っていく」と言っていたが、地域の医師会や病院・医院に丸投げし、連携体制の構築もこれまで本気に取り組んでなかったと受け取れた。すなわち、政府の責任を医療現場や医師会に押しつける構えだ。

政府の撤退作戦に呼応して小池都知事も、「自宅も、ある種病床のようなかたちでやっていただくことが病床の確保にも療養者の健康の維持にもつながる。」と言う。
都の場合、パルスオキシメーターや健康観察、酸素吸入の装置も準備しているというが、それを誰が届けるのか。急変・手遅れを防ぐ丁寧な容態把握を担うのは誰なのか?冷静に考えれば絵に描いたモチでしかない。

重症化する恐れがある中等症患者を放置してどうして「療養者の健康の維持」ができることになるのか。(誤解を恐れずに言えば、治療を受けられない一定の人々の犠牲によって医療崩壊を防ぐ、という醜悪な「最終解決策」を彼らは選んだ、としか適当な説明が見当たらない。)


Choose Life Projectによるオンラインシンポジウム【コロナ禍の五輪開催を考える】8・3
倉持仁医師(インターパーク倉持呼吸器内科院長)が政府の矛盾だらけの方針転換を厳しく指摘した。


オリンピックというお祭りと感染拡大防止という極端に矛盾すること2つを同時にやろうとして、少なくとも医療体制供給に関しては収拾が付かなくなってきて、もうどうしようもないのでケツをまくって逃げた。
中等症の早い段階から治療介入しなければ重症化は防げないことはこの一年半で分かって来た。
それにも関わらず「中等症は自宅に居ろ」というのは、言ってることが明らかに矛盾している。
自宅で、コロナ患者さんを診療する体制はほとんどないので、(自宅に居ろというのは)全く無責任で、怖ろしいことだ。
今まで重症あるいは中等症の患者さんを丁寧に病院で診ていた体制から、自宅で誰が(健康)管理するのか、どうやって検査するのか。
実際に外来で使える治療薬なども何もない、非常に危機的な状況だということを認識していただきたい。
感染者数はそんなに増えないだろうという甘い見込みの中でオリンピックが実際に開催されたが、今までに経験したことのないような感染爆発を今起こしている最中。とはいえ、オリンピックを途中でやめるわけにも行かない手前、一方で実際、医療の実情は、重症で死にそうであっても入院出来ない状況になっているので、それを正当化するために、「自宅で様子を見て下さい。」と(方針転換した)。
(方針転換は、これまでの)等しくきちんと医療が受けられた国民皆保険制度を、「放棄しますよ」「医療供給は十分にはしませんよ」という(政府の)メッセージととらえるしかないと思う。



★倉持医師発言動画【21/8/3Choose Life Projectオンラインシンポジウム「コロナ禍の五輪開催を考える」
https://www.youtube.com/watch?v=3SbXl_mL0Vw


鈴木ユリイカ「タブラ・ラサ」[2021年08月02日(Mon)]

タブラ・ラサ
   ―― アルヴォ・ペルトの音楽に   

           鈴木ユリイカ


わたしたちは半分砂に埋もれた住宅に住んでいた
毎朝わたしたちは水を求めて砂を掘ったり
わずかばかりの野菜をつんでは食したりしていた
毎朝わたしたちは散歩に出かけるのだった

どこへいっても崖や砂が襲いかかり
路を歩くたびに少しずつ少しずつ停止しなければならなかった
わたしたちは数百年もの間ひとりの人に会いたいと思っていた
誰もその人を見た者は居なかった しかし
そのひとがどんな人であるかわかっていた
そして 毎日 その人に会うのだった

今日も路が途切れたところで皆の息が苦しくなった
路はもうなかった しかし 空が割れて
光がふりそそぎ その一つの穴から地響きがして
よろよろとひとりの人が現れた
ああ と皆が叫んだ

地響きが続き 海も街も森もなくなりつつあった
もともと何があったかわからない
一つの穴からほのかな光につつまれた人が出てこようとしていた

神という人も
弥勒菩薩という人もいたし
おかあさんという人も
パパという人も
娘という人も
未来の友だちという人もいたが
誰も明確にいうことができなかった
ああ と皆がいうと胸が熱くなった

まるで原爆のような光のなかで
一瞬 会いたい人に会ったのだ
それから 永遠に近い静寂がやってきた
光は消え 崩れかけた崖と
砂だらけの路があった

そうして皆は今日一日を過ごすのだった



『私を夢だと思ってください』(鈴木ユリイカ・セレクション2 書肆侃侃房、2020年)より

*アルヴォ・ペルト(1935〜)はエストニア生まれの作曲家。

◆「タブラ・ラーサ」という言葉は、昔「倫理社会」という科目で「白紙」という意味だと教わったが、どういう文脈で出てきたのか、空漠としている。断片的な知識が何の役にも立たないことの一例である(無論、「自分の場合は」と限定して言うべきだけれど)。

「白紙」と言っても、大別して二つあるだろう。
一つは、目の前に白い紙があって、これから何かが書かれる(or描かれる)のを待ち受けている状態。
もう一つは、すでに書かれたものがあるのに、あえてそれを消し去った状態。いわゆる「白紙に戻す」ことだ。

どちらも緊張や勇気を必要とするが、それまで費やした時間や手間を考えれば、後者の方がより難儀だろうと想像がつく。
「白紙に〈戻す〉」と言っても、最初の紙を破り捨て、次の紙を取り出せば良い、というものではない。人の営為や社会のありようは元に戻らないことが普通だからである。
まして書いた当人には、そこまで働かせてきた意識や、手指を動かした記憶が残存しているものだ。それは個々人においても集団にとっても同じだろう。

◆この詩はアルヴォ・ペルト(1935年エストニア生まれ)の2本のヴァイオリン、プリペイドピアノと弦楽のための音楽「タブラ・ラサ」(1977年作曲)に触発されたものだ。

砂に埋もれた街――天変地異、あるいは人間の手で(もしくはその両方。たとえば大震災とそれに続く原発過酷事故により)荒廃がもたらされて数百年。――そこに暮らす人々が会いたいと思う「ひとりの人」とは「希望」のことだろう。抽象的な「希望」は、人の姿をして現れることで人々の生きる熱源となり、未来への目標ともなる。それを可能にするのは、人々の集合意識、集団に共有されている記憶である。

「希望」が見せる姿は人によって異なっている。だが、それで良いのである。唯一のイメージしか許容されないのは、カルト集団か独裁国家ということになってしまうからだ。


*ペルトの「タブラ・ラサ」、ネット上にはアンソニー+シャハムらによるものとクレメル+グリンデンコたちによる演奏が見つかった。

アデレ・アンソニーギル・シャハムほか
https://www.youtube.com/watch?v=eOW-StB98UQ

ギドン・クレーメルタチアナ・グリンデンコほか
https://www.nicovideo.jp/watch/sm17189397





鈴木ユリイカ「ゆめみるぼうや」[2021年08月01日(Sun)]


ゆめみるぼうや ―― 子どもの絵本のために

            鈴木ユリイカ

ぼうや きみが生まれたとき
公園のむこうで ももの花がぱっとさいたのよ
水のなかのすきとおったくびかざりから
おたまじゃくしがとびだしたのよ
かあさん犬があかちゃん犬をくわえて
ひなたにつれだしたのよ

ぼうや きみが生まれたとき
海がひかってね あかるくなったの
とおいくにから しらさぎがとんできてね
月夜のばんによつゆにぬれて
金いろの卵をうんだのよ

ぼうや いま どんなゆめをみているの?
おおきくなって 宇宙飛行士になって
宇宙でおたまじゃくしをかえしているのかな?
宇宙でももの花をさかせているのかな?
それとも宇宙船のまあるい窓から
だまって海がひかるのをみているのかな?



『群青くんと自転車に乗った白い花』(鈴木ユリイカセレクション3 書肆侃侃房、2020年)より

◆この小さないのちは、いったいどこから生まれたのだろう。
――そうした驚きを大人は忘れてしまったのか、熱暑のなか、幼いこどもたちのいたましい受難が続く。
八月に入った。



  
五輪は中止、首相は退陣!![2021年07月31日(Sat)]

◆神奈川の新型コロナ感染者、1,580名で連日の記録更新。藤沢市は60人だった(居住地別。藤沢市保健所発表の数字は57人)。
東京はあっさり4千人台に突き進んで4,058人。前の週と7日間平均を比べると何と217%の増加となった。
埼玉1,036人、千葉792人も足並みを揃えて記録更新。北関東の栃木170人、ひところ1桁台を維持していて対策がうまく行っているのかと思えた群馬も136人で、これまでの最多を記録した。

◆オリンピックが助長しているのは確かだろう。
メダルラッシュとメディアが報じるたびにウソ寒い感じがほっぺたをなでる。
達成を祝福されない選手たちという、全く予期しない事態が進行中というわけだから。

開幕前にオリンピックを実施した場合と中止した場を想定したグラフに、実際フタを開けてからの感染者数を重ねたグラフがネット上にあった。想像をはるかに超えた感染爆発が進行中であることが実感される。

◆海外ニュースとして何度か流れた、酸素ボンベを求めて必死の表情の人々の姿が頭をよぎった。
まさか、と思った事態が次々と現実となる。
入院できずに自宅療養(という名の放置)に耐えている人たちはどのくらいいるのだろうか。
どこへ行ったらボンベが手に入るか、調べて置いた方が良いのか?(まさか!?)

◆「もう打つ手がない」と担当者の悲鳴も洩れ聞こえるが、嘆くよりまず、「できることはすべてやる」と言い切って見せたスカ首相に、二つの要請をすべきだ。
(1)五輪は即中止。
(2)首相は即退陣。



益川敏英さん逝く[2021年07月30日(Fri)]


益川敏英さん逝く

◆物理学者の益川敏英さんが7月23日に亡くなった。享年81。

◆「九条科学者の会」や「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人・発起人として平和を守るメッセージを発信し続けて来た。
とりわけ軍・産・学共同で科学者が再び軍事研究に巻き込まれて行くことにNO!を突きつけ、学者・市民に倦むことなく訴え続けた。

日比谷公会堂での憲法集会であったか、手品まがいのエセ科学や詭弁に惑わされず、合理的・科学的に考える態度の大切さをユーモアまじえて語っていたのが忘れ難い。

警世の書『科学者は戦争で何をしたか』のことばをかみしめて、謹んでご冥福を祈ります。


ぼけっとしてたら子どもが戦地に連れていかれるぞ

(……)研究室に閉じこもっている研究者を、私はデモや集会に誘います。そうでもしなければ彼らは決して自分から動こうとしない。自分から社会の現実を知ろうとしないのです。彼らには科学技術の軍事利用に対する警戒心がないのでしょう。なければ、本人の目を覚まさせて、現実を見るように促します。

声をかけて面倒くさそうな顔をするやつには、「ぼけっとしてたら、お前の子どもが戦地に連れていかれるんだぞ」」と檄(げき)をとばすと、ちょっと目が覚める。「科学の平和利用を」と大上段に言うより、自分の子どもはどうなる、孫の生活はどうなる、徴兵制ができてもいいのかと、科学者が自分の問題として、生活者の目線で考えることが必要なのです。

「科学者には現象の背後に潜む本質を見抜く英知がなければならない」

これは坂田先生の言葉です。
私も同感ですし、今こそ科学者に本質を見抜く英知が求められているのだと思います。そして、その英知とは、自分の子どもや孫が将来どんな世界に住むことになるのか、責任をもって考えることから始まるのではないでしょうか。


坂田先生…名古屋大学で益川氏が師事した物理学者の坂田昌一氏(1911-1970)。

益川博英『科学者は戦争で何をしたか』p.114-115[第四章 軍事研究の現在] (集英社新書、2015年)より。
一部、漢字をひらがなに改めたほか、改行を施した。



自衛隊は政治権力の道具ではない[2021年07月29日(Thu)]

◆五輪、柔道の表彰式だったか、旗の掲揚を自衛隊員が行っている姿が映って、オヤ、ここにも……と思った。

◆先日の五輪開会式でも、運ばれてきた日の丸や五輪旗を掲揚したのは自衛隊の人たちであったようだ。

ある種の違和感を覚えた。
旗の持ち方、足の運び、ポール翻るのを見上げる姿に至るまで、旗を「捧持する」意識が強く感じられたのである。

彼らが捧げ持っているのは「国家」の象徴であるから、そこに国民は総体として含まれてはいるにしても、任務として旗の掲揚を行う以上、任命した上官や防衛大臣、ひいては最高指揮官である首相の命令によるものとなる。
そのために、彼らの日の丸掲揚は、国民を統治している機構とそれを差配する権能を持つ者を捧持する形になる。

掲揚台まで日の丸を運んだ人たちはかつてのメダリストたちや救急隊員。国民の代表として、ということになるだろう。
年齢も体格も歩幅も異なる彼らから日の丸を受け取った自衛隊の人たちは、一転して統一された足の運び、姿勢を維持しながら掲揚台に昇った。
引き継いだものは、みんなで運んだ団結の旗印なのだが、手渡した段階で恭しく「捧持」されるものに一変した、という印象を覚えたのである。

◆もうひとつ、五輪旗の掲揚を振り返っておく。
こちらは開会式の後半、五大陸や難民選手団を代表する選手たちによって運ばれ、選手宣誓に用いられた後、ポールに掲揚したのは同じく自衛隊の人たち。ここでも木に竹を接ぐような違和感を覚えた。

五輪旗掲揚では、何かを「捧持」するという意味合いは薄れ、旗の掲揚を整然と遂行する役割だけが要請されているように見える。だが、それを自衛隊が担う必然性が果たしてあるのか、と考えると、それは疑問だ。選手代表がそのまま掲揚まで執り行って構わないように思える。
不慣れからくるモタモタが多少あっても、IOC会長の冗長な挨拶よりは式典を和ませ、数段ふさわしいものになっただろう。

◆五輪はあくまでも平和を前提としたイベントであるところ、「実力組織」というソフトな装いを脱ぎ捨て、戦争のできる軍組織に変貌しつつある自衛隊が平和の祭典の各所に登場する形になっている。それが一番大きな違和感だったのではないか。

そう見てくると五輪に乗じた政権の意図が見えてくる。

◆自衛隊がスポーツイベントに関与する法的根拠は「自衛隊法」にあるという。
その条文は次のようになっている。

(運動競技会に対する協力)
第百条の三 防衛大臣は、関係機関から依頼があつた場合には、自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度において、国際的若しくは全国的規模又はこれらに準ずる規模で開催される政令で定める運動競技会の運営につき、政令で定めるところにより、役務の提供その他必要な協力を行なうことができる。


より具体的には自衛隊法施行令に以下の定めがある。

(運動競技会の範囲)
第百二十六条の十二 法第百条の三に規定する政令で定める運動競技会は、次の各号に掲げるものとする。
一 オリンピック競技大会
二 パラリンピック競技大会
三 アジア競技大会
四 国民体育大会
五 ワールドカップサッカー大会
六 ラグビーワールドカップ大会
(運動競技会の運営についての協力の範囲)
第百二十六条の十三 法第百条の三の規定により運動競技会の運営について協力を行なうことができる範囲は、次の各号に掲げるとおりとする。
一 式典に関すること。
二 通信に関すること。
三 輸送に関すること。
四 奏楽に関すること。
五 医療及び救急に関すること。
六 会場内外の整理に関すること。
七 前各号に掲げるもののほか、運動競技会の運営の事務に関すること。


現行の条文はワールドカップなどがあるたびに活動範囲を広げるために改正が施されて来たもののようだ。
注意すべきは「関係機関から依頼があつた場合には……役務の提供その他必要な協力を行なうことができる。」とあることで、競技会主催者からの依頼と防衛大臣の応諾なくして実施はありえないことだ。本来的任務とは言えないものを、恒例のもののように扱うことはしない方が良い。

法律の素人として一点気がかりなのは、日本の法令である以上、競技会は日本国内で行われる競技会に限定しての定めだろうと思うのだが、そのことを明示した条文が見あたらないことだ。

サッカーWCについては日韓共同開催となったし、今回の五輪だって、フランス側から共同開催はどうか打診があったと聞く。五輪単独開催が困難になっている時代に、複数の国・地域で大会が行われる可能性はあるわけだ。
そうした場合に、あれこれ名目を付けて自衛隊を海外に派遣し武張ることはないか。
まさか武器携行はあり得ないと思うが、1972年のミュンヘン大会のような事件が勃発することはあった。(我が国と密接な関係にある国においてもしや何ごとか出来した日には?……)


◆自衛隊のツイートによれば、今大会における国旗等掲揚への協力は、全国から集結した陸海空自衛官約370名で構成されているという。

コロナ禍の人流削減に逆行するだけでなく、五輪の機会を利用して諸外国、国内双方に向けた顔見世を狙う、現政権の下心が見えるようで釈然としない。


前に書いたように、五輪憲章は「国旗」ではなく競技に参加するチームの旗と定義している。




眼前の感染爆発[2021年07月29日(Thu)]


医療の危機を見よ
五輪は中止
無能な首相は退陣を



◆新型コロナ感染者数、全国で9,576人と過去最多となった。
首都圏も軒並み最多を更新し、東京3,177(死亡6名)、埼玉870、千葉577。神奈川もついに1,051人を数えた(本県のこれまでの最多は1月9日の995人)。

◆当然医療現場は危機的な状況だ。
コロナ患者を受け容れているさる病院で乳児の感染者6名が入院しているとの記事には胸が詰まった。哺乳ひとつとっても、どれだけの人手を必要とすることか。
東京都で言えば中等症病院はすでに収容能力を超えるに至り、通常医療の制限を健闘するよう、都は各病院に要請したという。

◆今日の厚労省のコロナ専門家会議で「危機感が市民全体で共有されていないことが一番の問題」との認識が述べられた。
だが、危機感を持っていないのは政府、東京都や五輪組織委のトップではないのか。

◆五輪テニスのメドベージェフ選手は猛暑下の競技に「試合は終えられるが死ぬかもしれない。死んだら責任を取れるのか」と審判に詰め寄ったという。女子シングルスでは試合途中で熱中症のために棄権を余儀なくされた選手まで出て、ようやく試合時間を遅くすることとなった。
メドベージェフ選手とジョコビッチ選手が24日に訴えていたことだ。

★【7月28日東京新聞Web】
「死んだら責任取れるのか」メドベージェフが酷暑対策を訴え
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120073

◆こうした事態はすでに予測されたことだのに、選手達が命の危険に瀕しても中止の判断を下さない五輪が、泥沼の戦争から撤退できなかった日本と重ねてとらえられるのは当然の話だ。

なのに首相はコメントひとつ公にする気がない。
(金メダル選手への祝福電話一本かけるのにすら原稿を必要とする人だものなア。)

【7月28日東京新聞Web】
菅首相、東京で最多更新の3000人感染にも「お答えする内容がない」と取材拒否
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120085

命を鴻毛より軽んじて扱ったカミカゼ日本が、今ふたたびよみがえり、多くの無辜(むこ)を道連れにするとは。

〈五輪中止〉を宣言すれば危機感は一気に津々浦々に行き渡るはずだ。



オーバーシュート、なのか[2021年07月27日(Tue)]

◆新型コロナ感染者、神奈川県内は758人。藤沢市も居住地別集計では57名を数えた。
東京2,848人、埼玉593人、沖縄354人はこれまでの最多。感染爆発(オーバーシュート)だと指摘する専門家のツイートがあった。

東京都の重症者は82人で重症者用病床の占有率は20.9%、病床全体の占有率は48%というが、中等症用の病床はほぼ満杯とのこと。

ニュースでは「都の基準による重症者」という言い方が常にされる。これについて、国の基準では実際の「重症者」はその10倍と見なすべきという指摘がある。
そのカラクリを書いた次のような記事があった(7月25日の東京都の感染者1763人という数字をふまえて書かれたもの)。

【7/26日刊ゲンダイDIGITAL】
東京都コロナ重症者数“横ばい”発表はミスリード 病床使用率56%と逼迫、隠れ重症者も急増

7月以降、都の感染者数は右肩上がりが続いているが、重症者数は50〜70人の範囲で一進一退。過去最多だった160人(1月20日)の半分にも満たない状況だ。しかし、これは、人工呼吸器やECMOでの管理が必要な患者に限定した東京都の独自の基準によるもの。集中治療室(ICU)や高度治療室(HCU)の患者も含めた国の基準では678人(24日時点)に上り、過去最多の567人(1月27日)をはるかに上回っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e94cc4a256ed286ab899ec4dfdab9b58c0677c88

*上の記事では「ネーザルハイフロー」という、これまで人工呼吸器を使っていた患者への治療法について言及している。患者や医療スタッフの負担軽減にもなる有効な治療法ではあるのだが、症例区分の上では「中等症」扱いに含まれるので実態の正確な把握や従来との比較が出来なくなる懸念があることに注意を促している。

◆明日にも東京は3,000人を超えるのではと危ぶまれている。近県も大同小異だ。

医療崩壊に突き進みつつある中、コロナ禍を助長する要因でしかない五輪はただちに中止すべきだ。
「それ(中止)はない」とスカ首相は今日のぶら下がり会見でのたもうた。
もはや言い古された感があっても再度言って置きたい。正気の沙汰ではない、と。

◆TVのニュースは五輪中継ばかりの番組表の隙間に埋もれている。生死に関わる情報を自分で掬い上げないと自分の命さえ救えない。
五輪強行による感染爆発は明々白々の「人災」だ。




やまゆり園事件から五年[2021年07月26日(Mon)]

◆メダルラッシュに沸く世情とは全く別の世界のことのように、津久井やまゆり園事件の日はやって来た。

新しい施設が完成し、入所者45名で再スタートを切る。だが、新生という言葉を使うことは出来ない。裁判は肝心のところに肉迫しないまま終結。障がい者抹殺を是とする優生思想は依然克服されておらず、県が掲げる「ともに生きる」という理念も、その中味はスカスカのままであるからだ。


*******


雲   石原吉郎
一九四九年 バム


ここに来てわれさびし
われまたさびし
われもまたさびし
風よ脊柱(せきちゅう)をめぐれ
雲よ頭蓋にとどまれ
ここに来てわれさびし
さびしともさびし
われ生くるゆえに



*バム…シベリアにある鉄道路線。「バイカル・アムール鉄道」の略。
バム鉄道建設には敗戦後シベリア抑留となった日本人も多く動員され、多くの犠牲者を出した。

現代詩文庫『続・石原吉郎詩集』(思潮社、1994年)より。




ようやくコロナワクチン一回目接種[2021年07月25日(Sun)]

◆やっと新型コロナのワクチン接種1回目を受けて来た。
場所は市内に特設された集団接種会場である。2回目も同じ場所で受けることになる。

いろいろあったが、電話でようやく集団接種の予約が取れたため、8月下旬に入れてあったかかりつけ医での接種はキャンセルした上で今日の接種に臨んだ。

◆パソコンによる予約申込は結局最後の最後まで果たせず、操作不慣れというより、使い勝手が全く悪く、アクセスが集中すると動かない代物であった。

*(希望日が×表示のままで予約に至らず、当初よりは丁寧な画面に改良されていたものの、本人確認をした先が動かない。何度か入力し直してカレンダーを確認したら25日は「×」の表示が記されてあり、「×」の印が付いていない他の日を選ぼうとしても動かない。一時間近くトライしたが予約システムは結局動かなかった。電話もつながらないので諦めて、翌日電話してみたら、25日は大丈夫ですよ、と答えが返ってきたので拍子抜けした。予約システム上は「×」と書いてあったはずなのに。)

予約システムは恐らく国が導入し各市町村に使用を推奨したシステムであろうと思っていたら、TVのドキュメンタリー(6月下旬放映されたもの)の再放送で埼玉県のワクチン接種取り組みに密着した番組の中に全く同じ画面が出てきた(下に予約システム入力画面の一部を掲げる)。

予約システム画面.png

入力画面の最下段に「Copyright コピーライトマーク MRSO Inc. ALL RIGHTS RESERVED.」のクレジットがあり、〈 MRSO〉社なる企業のサイトへのリンクが張ってあったのでアクセスしてみたら、「マーソ」と読み、人間ドックなど医療検査のWeb予約を業としている会社のようであった。会社設立は2015年という。
5月に大規模接種予約システムの欠陥が話題になったが、あれもこの会社が作ったシステムではなかったか。

社長以下、役員の名前が連ねてある中に、一人だけ見覚えのある名前があった。
竹中平蔵氏である。肩書きは「経営顧問」とのこと。氏は人材派遣会社パソナの取締役会長で知られるが、同社はコロナ対策や五輪関連でもしばしば名前が登場している。
この御仁、あちこちで"濡れ手にバブル"なのだろうか。

◆接種を担う各自治体は、国の朝令暮改にさんざん振り回され、現在もそのただ中にあるわけだが、マーソ社システムの不具合についても事例をしっかり記録して政府の説明をしっかり求めるべきではないか。同社には血税が支払われたはずであり、業者選定の経緯も含めて不明朗な点があれば、責任の所在も明らかにすべきである。

◆接種会場に行ってみて驚いたのは、市の広報(7/10付け)では7/31まで数回設定した接種日は「高齢者集団接種」であり、「一般の方(64歳以下)の予約はお控えください」とあったのに、会場には30~50代と思われる若い人がずいぶん多かったことだ(中には20代では?と思われる人も)。
すでに高齢者への接種は一段落して、次の世代が始まったということか。
ちっとも知らなかった。山あり谷ありでようやく今日を迎えた自分は何だったんだろう。
カフカの「掟の門」で足踏みしていただけだったのか、と暗然とした気分。

帰りのエレベーターで一緒になった同年配らしき人に声をかけてみたら、その人も若い人が多かったことに驚いていた。ある若者は「自分たちが受けても良かったのかしら」と恐縮しているようすだったとか。

*帰宅後2、3日前に配られた「広報ふじさわ」(7月25日付)を確認したら、7月16日までに16歳以上へのクーポン券送付を完了した由。ただし、7月中は65歳以上の高齢者が優先で、それ以下の人は8月中旬以降から予約を開始する、と書いてある。だが、接種会場を見た限り、実際にはもっと前倒しして進んでいるようなのだ。
ようやく加速しつつあるのならケチをつける筋合いではないが、しかし、かかりつけ医との約束を反古にしては申し訳ない、と思ってガマンを続けている律義な高齢者はまだまだいるのではないか?
(当方が電話で集団接種の予約を取ったのは、先週の7月18日。その後かかりつけ医にキャンセルを伝えたらアッサリ解除の手続きをしてくれた。当初「予約したらキャンセルはできませんよ」とクギを差されていたので、これも拍子抜けしたのであったが。)

いずれにせよ、自治会に入っていないなどで広報紙が手もとに届くわけではない情報弱者がいることを行政は忘れてほしくない。猫の目のように変わる情勢を正確に伝え、しかも混乱を生じさせないように事を進めるのは至難のわざかも知れないが、受け手の身になってみれば最適のやり方はそのつど見つかる。細やかな目配り・気配りを絶やさぬことが基本だと思う。



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