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水とひかり[2020年08月14日(Fri)]


DSCN4263ハナトラノオ-A.jpg
ハナトラノオ(花虎の尾)。炎天下に一服の涼。

***

◆車のメーターにある外気温の表示、正午過ぎで38℃あった。
走行中も36℃を下がらない。
緑豊かな湘南のオアシス=西俣野に帰ってきてようやく35℃に下がった。

部屋で28℃以上なら熱中症防止にエアコンを、とTVは推奨するが、エアコンのない家だってある。壊れたエアコンを買い換えることが出来なくて、と打ち水に余念のないお宅もある。
ゆかしい夏の風情を演出する、なんて話ではない。
地元・山口に墓参で帰る余裕もないことをかこつ風でも、エアコンの良くきいた私邸でペットを撫でステイホームできるアベ氏宅が決して標準でないことは、町なかでも田舎道でも少し歩いて見れば判ることだ。

***

ひかり   山尾三省

ひかり とは
生命(いのち)の もうひとつの呼び名です
生命(いのち)だけが
究極の 暗闇の中の ひかり です
暗闇の中を それで
水が流れている
水が 真実に 流れている
水は 暗闇の中の ひかり です


山尾三省『新版 びろう葉帽子の下で』(野草社、2020年)より


パルスオキシメーター[2020年08月13日(Thu)]

パルスオキシメーターというのをネットで買ってみた。
指先を入れるだけで血液中の酸素飽和度や脈拍数を測ってくれる器具である。
基礎疾患ありの高齢者の一人として、このところの息苦しさはひょっとして……と一抹の不安なきにしもあらず、で、試してみることにした。

購入決断の後押しになったのは、横浜港のクルーズ船で、ご主人の容態がかんばしくなかった方の体験談だ。
症状があって診察を希望したが医者に一向に来てくれない。数日辛抱してようやく部屋にきてくれた医者が、パルスオキシメーターの数値を見たとたん顔色が変わった。酸素飽和度が極端に低かったのだ。ただちに下船、病院へ搬送となった。


◆新型コロナ第一波の頃にはなかなか手に入らないとも言われたが、注文しコンビニ支払いを済ませたら翌日には着いた。

あれば安心のお守りや護符ではないので、早速試してみることにした。

DSCN4268.JPG

***

◆昨日に続いて35℃になった真夏日の昼日中、墓参りに出かけた。
往復とも車のエアコンを効かせて帰宅後、パルスオキシメーターで測ってみたら、いきなり脈拍112と出て肝を冷やした(酸素飽和度は98〜96ぐらいだから、まあ正常値だ)。
しかし、すぐに下がり始め、まもなく68程度で落ち着いた。
高温にさらされると心拍数は上がるものらしい。自覚はなかったのだが、体の方は暑さに反応して防御態勢に入っていたわけだ。
息苦しさの原因が炎暑にあること、そうして体の方はどうにか対応してくれているらしいことが分かっただけでも安堵したことだった。

官邸由来の息苦しさは依然として全く解消されていないけれど。



周庭氏、黎智英氏ら釈放[2020年08月12日(Wed)]

香港の周庭氏、黎智英氏らが11日深夜から12日未明にかけて釈放されたとの報。

【毎日新聞 7/12 19:59】
https://mainichi.jp/articles/20200812/k00/00m/030/302000c

【朝日新聞 7/12 12:12】
https://www.asahi.com/articles/ASN8D2DKDN8CUHMC01B.html

◆一部野党を除いて人権蹂躙のこの事態に抗議の声を発する政党、政治家が見あたらない、鈍(なまくら)武士ばかりの日本。
沈黙を続けるアベ首相は、モーリシャスで座礁した日本の貨物船による深刻な環境汚染に対しても沈黙したままだ。やる気があるのか。

*7/13追記
【ハフポスト日本版】によれば12日、国会議事堂前に在日香港人らによる有志団体が集まり、日本政府に6点の要請行動を行った。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f338e68c5b6fc009a5f3eb3

どこだ、自由は[2020年08月11日(Tue)]

人権と自由の封殺に対して「適切に対応」とはなにごとか

◆香港政府が民主活動家・周庭氏や、民主派を支持しているメディア「リンゴ日報」の創業者・黎智英(れいちえい)氏らを逮捕した。

懸念された通り、国安法(香港国家安全維持法)が成立して一月程の間に、法成立以前の活動までも「国家の安全」を理由に弾圧の網をかぶせる事態になった。

◆ところが日本政府の反応は「香港情勢について引き続き重大な懸念を有している。今後とも関係国と連携し、適切に対応していきたい」と腰の引けたコメントにとどまっている(菅義偉官房長官の11日午前の記者会見)。

◆懸念すべきは「香港情勢」ではなく、チベット問題を含む自由を奪われ監視拘束状態に置かれた人々の身の上であり、精神の自由という普遍的な価値を顧みない香港および中国当局の独裁的な政治姿勢だろう。

「適切に対応」とは事実上、外交カードを繰り出す構えも、事態を憂慮する世界中の人々に発するメッセージも持たないことを白状しているに等しい。
〈〇〇するために〉〈△△のために〉「日本政府として対応する」と具体的に述べない限り、何を言ってるのか判らない日本、信頼に値しない、人権後進国・日本というイメージが固着する。

あくまで素人の考えだが、仮に〈〇〇〉の所に周庭氏や黎智英氏の名前を入れてコメントしても、そのあとに「香港および中国政府のために」と続ける周到さを忘れないならば、相手の誇りを損なわずに糸口を確保することは不可能ではないだろう。習近平来日というカードは棚上げされたままだがホコリをかぶってはいない、というメッセージを発することもまた同様だ。
すべからく外交力ということになる。 茂木敏充外相の今回の外遊、こと香港・中国については足をそちらに向ける気も、何らかのルートで動く気もないままのようだ。

***

棒をのんだ話   石原吉郎

うえからまっすぐ
おしこまれて
とんとん背なかを
たたかれたあとで
行ってしまえと
いうことだろうが
それでおしまいだと
おもうものか
なべかまをくつがえしたような
めったにないさびしさのなかで
こうしておれは
つっ立ったままだ
おしこんだ棒が
はみだしたうえを
とっくりのような雲がながれ
武者ぶるいのように
巨きな風が通りすぎる
棒をのんだやつと
のませたやつ
なっとくづくのあいまいさのなかで
そこだけ なぐりとばしたように
はっきりしている
はっきりしているから
こうしてつっ立って
いるのだ


*現代詩文庫『石原吉郎詩集』(思潮社、1969年)より。



石原吉郎「審判」と「位置」[2020年08月10日(Mon)]

DSCN4197-A.jpg

鎌倉文学館入り口にある手洗い場。
現在使っていないようだが「withコロナ」時代の手洗い励行には便利だろう。
だが、水栓が見あたらない。流しっぱなしにしていたものか。
加賀・前田家の別邸であったが1936年に洋風に改築したもの。

*******


審判  石原吉郎

この世のものおとへ
耳をかたむけよ
くるぶしの軋るおと
頸椎のかたむくおと
石が這いずるおと
肩を手がはなれるおと
証人がたち去るおと
およそ覚悟のように
ものおとがとだえるおと
かつてしずかなものを
この日かたむけて
挨拶はただ南へかげる



◆この詩も以前に紹介した「位置」という詩と正確に呼応している。
詩集『サンチョ・パンサの帰郷』の巻頭にある彼の代表作である。


位置   石原吉郎

しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である


両詩とも現代詩文庫『石原吉郎詩集』(思潮社、1969年)より。


◆単に「肩」「挨拶」という語がどちらにも登場するというだけではない。
ジリジリと身を焦がす太陽のもと、銃殺か磔刑に処せられる者がここにいる。

「位置」では、己の座標に集中される殺意に対峙させる「ことば」が呼吸につれて肺腑を充たしていく。それは己が全身全霊を込めて蒼穹を引き絞って放つことば=世界への「挨拶」である。そのことばが発せられるまでが描かれる。

「審判」では、その後が描かれているようだ。「挨拶」=彼が生きた証しであることばたちはすでに世界に放たれた。目を閉じてこの世界のものおとに耳を傾ける。己が受けた責め苦の数々が音とともによみがえる。だがそれらも次第に遠のいて、彼が全存在を傾けたことば=「挨拶」は、影の濃さを増しながら、受けとめる者たちを求めて流れてゆく。


【参考旧記事】
石原吉郎の「位置」[2018年10月8日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1010



石原吉郎「残り火」[2020年08月09日(Sun)]

DSCN4173.JPG
シオカラトンボ

*******


残り火  石原吉郎

そのひとところだけ
ふみ消しておけ
そういう
ゆるしかたもある
そういうゆるしかたも
ある ということを
はるかにとおく
思いしらすために
踏むには値せぬ
ひとところを
やわらかな踵で
ふみ消してから
谺となって立去るがいい
うなだれた記憶がゆっくりと
蒼白な面(おもて)を起こすのは
立去って行く その
うしろからだ



現代詩文庫『石原吉郎詩集』(思潮社、1969年)より(未刊詩篇から)
*奥付の発行日は〈一九六九年八月十五日〉としてある。

◆鹿野武一をめぐる文章「ペシミストの勇気」(『思想の科学』1970年4月)に呼応している詩。
例えばつぎのような一節がある――

おそらく加害と被害が対置される場では、被害者は〈集団としての存在〉でしかない。被害においてついに自立することのないものの連帯。連帯において被害を平均化しようとする衝撃。被害の名における加害的発想。集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。しかし加害の側へ押しやられる者は、加害において単独となる危機に絶え間なくさらされているのである。人が加害の場に立つとき、彼はつねに阻害と孤独により近い位置にある。そしてついにひとりの加害者が、加害者の位置から進んで脱落する。そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかから、はじめて一人の人間が生まれる。〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。
私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去っていくその〈うしろ姿〉である。問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている。ここでは、疎外ということは、もはや悲惨ではありえない。ただひとつの、たどりついた勇気の証である。
そしてこの勇気が、不特定多数の何を救うか。わたしは、何も救わないと考える。彼の勇気が救うのは、ただ彼一人の〈位置〉の明確さであり、この明確さだけが一切の自立への保証であり、およそペシミズムの一切の内容なのである。単独者が、単独者としての自己の位置を救う以上の祝福を、私は考えることができない。


 *「ペシミストの勇気について」より(『石原吉郎詩文集』p.112〜113 講談社文芸文庫、2005年)

◆この文章での「加害」と「被害」とは、収容所の囚人たちが、強制労働へと五列に隊伍を組んで行進する途中、つまずくか足をすべらせて列の外へよろめいたのを逃亡とみなされ、監視兵にその場で射殺される、そのために囚人たちは争うようにして中の三列に割り込もうとし、身近の誰かを外側に押し出そうとする、そうした生き延びようと必死な者同士の間に生まれる「加害」と「被害」のことを指している。
捕虜として抑留された者同士の中で「加害」と「被害」がすさまじく入り乱れて繰り広げられる争闘を直接には指しているのである。

無論、これを国と国との戦争や、一国の中で起きる内乱にも敷衍することは可能であり、過ちを繰り返さないためには必要なことでもある。

だが、自分の加害者性を認めうる人間は少ないだろう。被害者の面の下にもうひとり、加害者の面がピタリと隙間なく張り付いていたことに気づく人間はもっと少ないだろう。ましてや、気づいた結果、集団から孤絶する生き方を自分に課す人間はほとんどいないだろう。
その例外的な一人が鹿野武一である。鹿野がどんなばあいにも進んで隊伍の外側の列に並んだことには、鹿野自身の内部において、加害と被害の根源的な問い直しがあったのだろうと石原は想像せずにいられなかった。

◆「残り火」という詩に「加害」や「被害」ということばは使われていないのだが、その「残り火」は原子野のあちこちになお燃えている火であると言っても良いし、荼毘に付され白々と現れた骨をなお焦がしている火であると言っても良い。
その火の(=骨の)「踏むには値せぬひとところを」「ふみ消してから」立ち去れ、と言う。そのようなやり方でその死者が生きていた頃に、我々の同胞に与えて来た加害を「ゆるし」たからといって、それ以上傷つくことがなくなるというわけではない。「やわらかな踵」が火傷を負わずに済むはずはない(=加害者と被害者は別のものではない)からである。

詩の終わりの4行、立ち去る者のうしろから「蒼白な面(おもて)を起こす」記憶のその表情は、立ち去る者には見えない。ただ、それが「谺(こだま)となっ」た己(=肉体を持たなくなった己=伝えることばそのものになった己)の背を、いつまでも視ていることは間違いないことだ。




感染抑え込むにはー渋谷健司氏の提言[2020年08月08日(Sat)]

ほんとに感染止まらない

◆神奈川・埼玉はまた新型コロナの新たな感染者数が最多更新(藤沢市では4名)。
数値に一喜一憂しても詮ないことと思いながら、昨日最寄りのドラッグストアで「うがい薬売り切れ」の貼り紙を見てドヨンとした気分を引きずっている。
影響は歯医者さんに及んでおり、抜歯治療に欠かせないイソジンガーグル液(ポビドンヨード)が入手出来なくなっているとして、複数の医療団体から抗議声明も出た由。
コロナ禍の日々に突入してすでに半年が過ぎたというのに、いったい買い占め騒動を何度繰り返すのだろうか。

神奈川の黒岩知事も、「MASK」(マスク着用、アルコール消毒、しゃへい物、キョリをとる、の意味だそうだ)と書いたパネルを示しながら、食事中や自宅で過ごす間もマスクを着けるよう呼び掛けていたが、出来の悪いゴロ合わせでウケ狙いでは、吉村大阪府知事と大同小異だ。



渋谷健司氏の警告

◆今日Webで公開された渋谷健司キングス・カレッジ・ロンドン教授のメッセージは説得力があった。現在までに得られた知見に基づく冷静な分析に立って政府・厚労行政の間違いを指摘し、インフラ整備が急務であることを説く。

赤旗〈2020焦点・論点〉新型コロナ感染拡大 小火が山火事になる前に
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-08-08/2020080801_02_0.html

◆渋谷氏は「重症者が増えて行くのは時間の問題」と警告を発し、それを防ぐために「医師の判断で、公費で検査をできるようにするのは当たり前だし、医療機関や介護施設、学校など人が接触するところやサービス産業の一部。そういうところは患者、入所者、従業員などに2週間に1回の検査をやる。特に社会的弱者には支援が必要」と述べている。
40%以上の感染は無症状感染者から起こることがわかってきた以上、その把握と対処が急務であるからだ。学校や介護の現場では感染者が出て初めて濃厚接触者を調べ検査を行っているようだ。それでは遅いし、不安を抱えながら業務に従事するようでは身も心も持たない。

初期対応に失敗したニューヨークは感染爆発を起こしたものの、PCR検査能力を大幅に増やして抑え込みに成功した。
失敗をただちに生かして合理的な判断と徹底した行動力で対処するためには「一人一人が徹底用心」(黒岩神奈川県知事)といった心がけ論や「今年は特別な夏」(小池東京都知事)といったイメージ戦略は意味をなさない。足もとの体制強化と同時に政府や国会に必要な法改正と施策実行を要求していく果断さが必要だろう。

渋谷氏のメッセージの結びを引いて置く。

経済活動を再開するために各国は、その大前提として感染制御によって両立をはかる戦略をとっています。感染制御があって初めて経済活動ができます。その社会インフラがPCR検査であり、追跡であり保護・隔離なのです。




浄光明寺 石川一成先生の碑[2020年08月08日(Sat)]

DSCN4248サンゴジュA.jpg
サンゴジュのようだ。葉のつややかな緑に赤い実が映える。
鎌倉・扇が谷(おうぎがやつ)辺をウロウロして出くわした浄光明寺の境内にて。

***

DSCN4242浄光明寺石川一成先生の碑.JPG

門を入って右手に歌人・石川一成(かずしげ)氏を偲んで教え子たちが建てた記念碑があった。
碑文にあるように県立湘南高校の教壇に立ち、教え子たちに慕われた国語教師であった(同校在職は昭和29~47年=1954~72年)。1979年から81年には県派遣の日本語講師(第1期)として中国四川省重慶で教鞭をとった。また、「心の花」で活躍した歌人としても知られた。

湘南高校でのスタートは定時制だったようで、その頃の歌からいくつか写しておく。


昭和三十年

入学の三五%は退学せり冬萌し来る夜間高校の統計

学生に安易な労(いたは)りを今日も言ひし明日は厳(きび)しく温かく言はむ

賃金未払いによる授業料滞納を調べたりストーブの灯を静かに灯す



昭和三十一年

手をとりて焼夷弾の街逃れたる友にも会はむ心に居りき

照明弾に頰美しく照らされしかの一瞬が記憶にあたらし

保安大受験する生徒と語らひ兵舎のつづく丘にのぼれり

戦野十年還りし父の身に病みて再発のたびにいたく衰ふ


*1929年生まれで戦争末期、学徒動員の工場で終戦を迎えた石川氏は、のちのちの歌集でも戦死した3名の叔父たちへの挽歌を多く詠んでいる。戦後保安大学校(防衛大学校の前身)が横須賀に開校し、そこを志望する教え子の選択には複雑な思いがあっただろう。


昭和三十二年

学びつつ席を並べし安谷屋(あたにや)君沖縄訛りをはにかみてありし

基地広く鉄の兵器がくろぐろと形を見す夜を行きけり

基地に近き町に移り住み日本の縮図のさまとはげしく論ず


この年、結婚し厚木基地のある大和市に移り住んだ。
藤沢市に移ったのは1970年のことである。1984年自宅近くで輪禍に遭い死去。55歳の若さであった。

*歌、年譜とも『石川一成全歌集』(ながらみ書房、1992年)によった。

◆石川一成氏の墓所は藤沢の大庭霊園にあるとのこと。
この記念碑が浄光明寺にある事情は分からないが、同寺には藤原定家の孫である冷泉為相(ためすけ)の墓所がある。
歌人である恩師に報いようと結集した教え子たちの絆がより合わさり伸びて行った先にこの寺が歌詠みを偲ぶにふさわしい地として見出された、ということだろう。

DSCN4233-B.jpg
浄光明寺入り口にある冷泉為相旧跡の碑。



チョイ遠出のリスク[2020年08月06日(Thu)]

DSCN4188.JPG
フヨウ。鎌倉市常盤で。

DSCN4195.JPG
大仏トンネルの大仏側出口。トンネルが二本になって反対方向の車両はもう一本のトンネルを通るようになったからトンネル内の涼しさは格別だ。

自転車でのチョイ遠出もいろんなリスクがあると実感した日。
行きの道中は花に目を留め、トンネルの涼を楽しむ余裕もあったが……

*******

新型コロナ神奈川県・藤沢市とも最多の感染者

◆今日の神奈川県内の新型コロナ感染者は119人に達した。8月4日の89人をあっさり超えて3ケタ、この1週間の増加がこれまでで最も急な傾斜であること、感染経路不明が多いことも心配だ。
藤沢市の新規感染者も9名でこれまでの最多である。
気分は常に戦場に在りの心構えが必要なのだろうが、祈るように頭に浮かぶのは小林旭の「自動車ショー歌」のメロディ「♪ここらで止めてもいいコロナ〜」ばかり。

【朝日デジタル8/6記事】
神奈川県内で119人が感染 過去最多、初の100人台
https://www.asahi.com/articles/ASN866SM4N86ULOB01F.html

***

ひさしぶりの鎌倉行きで泣きを見る

◆平日の昨日は電動自転車を駆って鎌倉文学館の井上ひさし展を観てきたのだが、帰路、むかし寄ったことのある古本屋、今はどうなっているだろうか気になって、駅方向に少しだけ足を伸ばしてみた。
文学館からバス通りに出て間もなくの所に頼もしい構えの古書店があったはず。
しかし新しい建物に取って替わられたようで見当たらず、駅近くに在った小さな店も同様に影も形もなし。
20年の余も経っているのでやむを得ないことと思いながら、小町通りから左に入ったところに美術書中心の店があったはず、と思い直して、小町通りを鶴岡八幡宮方向に向かった。
だが、駅前ロータリーから通りに入ってすぐに後悔した。
300メートルほど先で尽きるはずの真っ直ぐな商店街は、東京・原宿さながらの人の群れで埋まっていたのである。
さいわい小町通りに入って直ぐ左に折れる道があり、そこから小路をやり過ごして古書店のあるはずの辺りで右に折れてみるが、見つからない。
そうこうしているうちに川喜多映画館の道にぶつかってしまった。小町通りの北のはずれの辺りである。

◆店探しを諦めて、寿福寺の踏切を渡って帰ることにした。
ところが、たまには違うルートをと、踏切を渡って右に進んだのがいけない。扇ガ谷あたりをウロウロ、アップダウンを繰り返すことになってしまった。
電動自転車の助力があっても鎌倉は到るところ谷戸である。
鎌倉市域をようやく出る辺りで足が吊ってきてしまったのだった。休んで回復を待つが、痛みもそれなりにある。

ドラッグストアで薬を買って足に塗り、水分も補給。
藤沢市域に戻って村岡から遊行寺上の坂道に出るルートが最短だが、大きなアップダウンが都合3回あるので断念せざるを得ない。往路の倍以上の時間をかけての帰還となった。

箱根駅伝で足が停まってしまう選手の悔しさが少し判ったかも、というのがせめてもの収穫か。
(小町通りの「密」を回避したことの良否は、お盆の頃にならないと判らない。)
ともかく、時間はあっても体力がない年寄りは、ゆめ欲張ってはならない、ということを思い知った一日。

◆かくして8月6日は市の広島の日を告げる無線放送でようやく目ざめ、8時15分、蒲団に端座しての黙禱となった。

「まぼろし探偵」「8マン」の作者、逝く[2020年08月05日(Wed)]

センニンソウDSCN4178.JPG

センニンソウ。つる性の植物だ。
熱暑でも木下の緑の上に花やつぼみが白く浮かび上がる姿が涼しさを感じさせる。

***

◆漫画家の桑田次カさんが亡くなった(7月2日)。享年85。心よりご冥福を祈ります。


新聞には「桑田二郎」とのちのペンネームで紹介してあるが、「8マン」以前の作品に親しんだ世代には「次カ」の方がなじみの名前だ。団塊の世代の後半組は、彼が生み出したヒーローたちに扮して遊んだ記憶があるだろう。

オリンピックの前年1963年スタートの「8マン」は週刊誌連載だが、それ以前の代表作「まぼろし探偵」も「月光仮面」も月刊誌に連載されたものだ。
今、それらの発表年を確認すると「まぼろし探偵」は1957年、「月光仮面」は1958年にスタートした。今回の訃報で85歳と知って意外の感があったが、上記連載で人気作家になったのは22、3歳という若さであったことに驚く。

◆この2作の主人公は我が幼年期のヒーローたちで、小学校1年の図画の時間に最初に描いたのは「まぼろし探偵」だった。帽子を真っ赤なクレヨンで塗っているところに担任のK先生が声をかけてくれた記憶がある(ニコニコ顔だったのは幸いだった。イヤな顔をされたらそのあとの図画の時間がガマンと苦痛の時間になりかねない。)

漫画誌を購読していたわけではなく、家にTVも未だなかった状態だったのに描けたのは、たぶん兄が雑誌を借りて来てくれたか、メンコなどで見ていたからだろう(実写版TVドラマの映像を観たのはずっとのちのことである)。
ひょっとして男子は誰も同じように漫画の主人公を描いていたのかも知れないが、他の子が何を描いているのか見回してみた記憶もない。小学1年生という生き物は他人への関心など持ち合わせない点で幼児と大差ない。人見知りしたり困って泣き出したりすることはあっても、恥ずかしいから頑張ろう、などという殊勝さも持ち合わせない。
正義を愛する心は羞悪の感情が培養液だから、もう少し人生経験が要る、ということか。




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