
遥か昔の生活を想像してロマンを感じるのだろう。しかし、実際の生活では新しい技術を使った製品に憧れ、住居も古いものは壊されて新しく立て直されていき、ヨーロッパの古都のような町は、日本では少なくなってきている。

確かに、無駄な古いものも多く、狭い日本は効率よく生活するためにどんどん古いものは捨てていかないとその物の保管費用は馬鹿にならない実情も見逃すわけには行かない。
偶々、我が家が古い家より転居することになり、已むなく大量の古いものを廃棄せざるを得なくなった。一つ一つ廃棄するか否か、判断に苦しんだ。
その中に、珍しいものがあった。天保年間に活版印刷された和綴じの書物が何冊か出てきた。

これは、直接役立たないことは明らかだし、そんなに貴重なものでもない。
しかし、捨てる気にはならず、量もそんなに多くはないので未だに捨てずに置いている。
この時、果たして古い物の価値とは何だろうと考える機会を与えてくれた。あの時代にこんなものを使っていたのか、あの時代の人はこんなものを創る技術を持っていたのかと感心するだけでよいのだろうか。

1949年に初めて日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは日本人の勤勉さと理路整然と説明しないと納得しないことに感心し、次に日本を担当する宣教師は優れた者で十分説明が出来る者でなければ勤まらないと本国へ送った手紙が残っている。
この古い書籍から、先輩たちの勤勉さと向学心を感じ、励まされることが価値ではないだろうか。

