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2010年03月10日

展覧会「さようならとはじめまして」



ワン・ワールド・フェスティバルが終わって、あっという間に1ヶ月が経ってしまいました。早いですね・・・困った

現在、piaNPOの6階建てビル全体を使って12人のアーティストによる作品の展示がおこなわれています。山

勿論、ビルは平常通り業務をおこなっていますので廊下や一部の部屋のみの展示で広い場所ではありませんが、12人のアーティストが夫々個性のある作品を展示してあり、興味のある内容です。魚

更に、各階にテーマ毎に自由に書き込めるホワイトボードや、ビルに入居の主な人のインタビューによる発言のビデオを流したり、作る体験のコーナーもあり楽しく鑑賞して回れるよう工夫がしてあります。りんご

この写真は、極く一部ですので是非、piaに訪問して鑑賞して下さい。まる

そして、ここのNPO支援事業や入居団体の活動についても理解を深めていただける機会にもなればいいなと思います。ランドセル



企画している団体のホームページはこちら!
posted by pia NPO at 14:46| SAさんのコ・ラ・ム

2009年10月28日

豊かさ

日本は、7人に1人が貧困に属し、OECDに属する国の中では第4位だと言う。かっては殆どの国民が中流と思っていた時代に生きた者としては驚いた。この相対的貧困率は、計算方法から見て、他の国とは比較できないが、経済格差が大きくなっていることは事実のようだ。
どんな時、貧困と感じるかと街の人に聞いているTV番組を見たが、旅行が出来なくなったとき・・とか随分贅沢な答えが返ってきていたが、一方で住む家もなく、食事も十分食べられない働き盛りの人も多くいるとのTV報道もよく見られる昨今である。


世界第2か3位の経済大国と思っていた日本が何故こうなったのか、考えさせられる。世界第1位の経済大国アメリカも日本以上に相対貧困率が高いので国全体の経済力では一人一人は幸福な生活を送っているとは言えない。


WHOは、健康を保つ前提条件として@平和A住居B教育C食料D収入E安定した環境F持続可能な資源G社会的公正と公平・・を挙げている。これらが全て十分だとは言えないのは頷ける。しかし、ここで豊かさとは何だろうと考えさせられる。


日本国内の風景として、ある小さな島での全校生徒10人足らずの小学校とその子どもたちの日常を追っている番組があった。都会とは違って電車も自動車も少なく不便と思うが、子供たちは家にゲームは持っているが殆ど使ったことはないと、屋外で嬉々として遊ぶ姿を見て、豊かさを感じた。


健康や環境で個人の努力のみではどうにもならない人々があることは忘れてはならないし、社会で援助すべきであるが、富のみを追いかけ、利己主義に走る現在の社会は考えるときが来ているのではないか。


アメリカのニュヨークの病院で、誰か分からないが、壁に落書きとして詩が書かれていたと言う。長い詩なので一節を書くと 
  幸せになろうとして富を求めたのに
  賢明であるようにと貧困を授かった
このような心境に簡単にはなれないが、この作者は相当苦しんだのでは・・・・・

                                                (写真はオランダの風景)
posted by pia NPO at 15:30| SAさんのコ・ラ・ム

2009年08月21日

伝える

8月になると、15日の終戦記念日を初め、広島、長崎の原爆の日など後世まで記憶に留めるべき日が多く続いている。それにしても、人類は忘れ易い。何回も記念日を作って記憶を呼び覚まさなければ忘れてしまう。人生がせいぜい70〜80年で短いためであろう、相当努力しなければ、後世に伝えていくことは難しい。りんご

人が人を殺しあう戦争が如何に無意味で、自分ら自身を結局は苦しめることを経験しながらその貴重な経験が後々まで伝わっていない。熱帯魚

今最も関心事の経済問題も、100年に1回の経済危機と言われているが、実は同じようなことは今までも何回も経験しており、今回は規模が大きかっただけだとも言われる。人類は莫大な費用と時間を使って共産主義経済や社会主義経済、資本主義経済など経験してきたが、同じような失敗を何回も繰り返している。いちご

もう一つ重要な問題は、環境問題である。これは未だ経験していない危機であるが、このまま進めば地球に人類が住めなくなる極めて重要な危機であることは、誰しも認める所であり、やっと世界は動き出している。しかし、必ずしも順調に進んでいるとは言えない。一旦出来上がった生活環境を修正するのは容易ではない。この危機感が後世までも確実に伝わるか心配である。ランドセル

2000年以上前に既にある程度の天文学の知識を得ていた人類の頭脳はあまり進歩していないとも言える。頭脳を寄せ集め、組み合わせて、すばらしい科学を生み出し、利用してすばらしい生活をするようになった功績は大きい。しかし、多くの副作用も生み出してきている。長いパターンでみて考えることが出来なくなっていないだろうか。今その曲がり角に来ている。後世に伝えていかなければならない。桃太郎

              
 クロアチアの風景
posted by pia NPO at 21:22| SAさんのコ・ラ・ム

2009年07月22日

氏か育ちか

昔、「氏か育ちか」と言う題名の本を読んだことがある。つまり、人間は血筋で決まるか、教育で決まるのか、遺伝がどれだけ関係し、それを教育で変えられるかと言う問題である。ダーウイン(1809〜1882)が「種の起源」を発表した時、当初は神の摂理に反すると理解されるまで時間が掛かった。丁度、同じ時期に、メンデル(1882〜1884)が遺伝の法則を発見したが、これはどちらが正しいかと言う問題ではない。りんご

政治家の世襲が問題となっているが、親が立派だから子も優れているとは言えないし、逆にあの親の子だから、流石に・・・と思うケースもある。しかし、今や子どもの成長過程の環境を含めた教育がより重要であることは誰もが認めている。グラス

経済的に豊かになっても、いや、豊かになったから、社会秩序を外れる者が多くなった。外国へ行った人は、日本人のマナーの悪くなったことを感じ、嘆く人が多い。日本の電車の中のアナウンスが喧しいことは有名であるが、しかも、その内容が幼児に注意するような基本的なことが多く、一寸恥ずかしいような気になる。魚

言葉だけで注意しても教育にはならないと、ある小学校の先生が、子どもに給食の時間に、世界では十分な食事が食べられず餓死する子どもも居るのだ、残して捨てることなく感謝して頂きなさい・・との教育を子どもたちに次のような体験をさせて教えたと言う。クローバー

それは、子どもたちに「ひよこ」を大人の鶏になるまで育てさせた。かわいい「ひよこ」にこどもたちは喜んで大事に育てた。先生は、その鶏を自分で、子どもたちの前で処理をして、給食の食材として使い、子どもたちにこのように私たちは鶏が犠牲になってくれて生きさせてもらってているのだ。感謝して残さないように食べないと、鶏が可哀想だ。と教えたと言う。それ以来、子どもは、真の意味を理解し給食を残す子どもが大幅に減ったと言う。新幹線

教育は、知識の詰め込みだけでは駄目であり、却って悪い方向に使われる。今、問題になっている原子力が良い例である。如何に使うかは人間の考えひとつであるサボテン


              piaNPO前に来た 子ども太鼓
posted by pia NPO at 14:14| SAさんのコ・ラ・ム

2009年06月11日

常識

モンゴル駐日大使の、モンゴル・日本両国に関係する歴史から日常の習慣に至ることを細かく書かれた本を読ませて頂いた。日本のことも日本人以上に勉強されているのに感心した。その中に、本の題名にもなっている両国共通のある習慣を西欧の人が顔をしかめて嫌がることが、果たして行儀が悪い習慣だろうかと問題提起されえている。ハート

それは、寒い時期に熱いスープをふーふー息を掛けて冷ましながら音を立ててすする習慣のことである。我々日本人も音を立てることは、良くない、行儀が悪いと聞かされて注意されてきたが、寒い地域、特にモンゴルでは、寒いときに熱いスープをそうして飲む時、幸せを感じる。はっきりとは書かれてはいないが、その国や風土を理解しないで自分の常識で非難することは考えねばならないと言っておられるのである。りんご

外国へ旅行したり、現地に住むと、何らかのいわゆるカルチャーショックを受ける。その国、地域の常識を身につけるには時間が掛かる。そういう意味ではパック旅行などで駆け足で見て回ることは、時々間違った理解をすることがある。私は、たまたま、ある外国の同じ都市に、社用訪問、私用旅行、居住の違った形で訪問したことがあるが、それぞれ違った印象を受けて帰った経験がある。サボテン

何も外国へ行かなくても、現在の日本では多くの外国人が居住し、多文化共生が叫ばれている。難しいから逃げるのではなく表面上ばかりではなく、気持ちまで理解するには時間と友情がないと簡単ではないことを理解する必要がある。山

外国人との関係ばかりでなく、日本人同志でも時代(時間)と共に随分常識が変わり我々高齢者は戸惑うことがある。常識が随分違っていて、同じ日本語でも通じないものがある。
敬語の使い方など、乱れていて、自分の子どもに敬語のようなことばを使いながら他人の大人に敬語が使えない場面に会ったりする。みかん

子どもの時、「シャツのすそが出ている、だらしない、きっちりと入れなさい」と度々注意されたが、いまやそれが最新のファッションになった時代である。常識を破ることが進歩の始まりであると言われる時代であることを学ばなければならない。カバン
posted by pia NPO at 14:45| SAさんのコ・ラ・ム

2009年05月20日

エコ

エコポイントの制度が始まった。TV報道で見る限り関心が高いようである。勿論、環境対策の一つであるが景気浮揚策の狙いの方が強い感じがする。しかし、いずれにしても良いことである。りんご

しかし、地球環境の悪化は予想以上に進んでおり、やっとどうにかしなければとの機運が出てきたものの一般にはまだまだ深刻に考える人は少ない。平均気温が上昇し、野菜の出荷時期がずれたり、と身近に影響が見られるが、四季の変化になれた日本では、さほど異常とは感じないのが実情である。しかし、熱帯雨林では雨が少なく、自然火災が発生して森林のCO2の吸収力が低下して来ており、海では温度が上昇して珊瑚が死滅し、元々豊かな魚の
楽園であったところも魚が住まなくなり、魚を取って暮らすしか方法のない住民が生活にも困って、獲ってはいけないことになっている「たつのおとしご」を獲り、売って生活している。この実情を国際交流と現地の見学目的に訪れた青少年のグループが見て、なんと言えばよいか困って言葉を失っていたTV番組を見た。クローバー

環境の悪化は何年も前から言われていたが、直接影響を受けていない人々はあまり動かなかった。反応が鈍かった。最近、やっと本格的に動き出した感じである。折角良い方向へ向かっているのに何故このように云うのかと言うと、その逆を目の前にして考えさせられたのである。いちご

新インフルエンザが兵庫県、大阪府に感染が広がり、学校が休校C起業も対策に大童である。過剰反応も各方面で起こっている。殆どが若者に感染していて、何故か高齢者は目ね気があるらしいことまで分かっている。しかし私たち高齢者の集まりも中止になった。過剰が悪いことはなく、むしろ安全であるので良いことではあるが、直接ミニ降りかかることだけでなく
長い目で見て考えることが必要であることを云いたかったのである。ランドセル
posted by pia NPO at 11:39| SAさんのコ・ラ・ム

2009年04月08日

振り返り

老人大学の同窓会に久しぶりに出席した。卒業後、もう十年近く経っているので、誰も70歳を超えており、中には90歳オーバーの方もいる。出席した者は、当然ながら元気な方ばかりである。今も、全員ではないがボランティアなどを続けている人が多く居る。寿命が延びたと言われるのを実感出来た感じだ。魚

話題は、やはり過去の日本の状況や自分の体験の振り返りである。後期高齢者の集まりと言っても、年齢の2,3年の差で戦時の体験は随分違う。特に男子は、徴兵に掛かるか、掛からないかで随分、体験が違う。
私も、後期高齢者の仲間だが、直接戦争を体験することは無かったが、2,3回死に掛けている。旧中学校生であったが、軍需工場や、防衛陣地構築の重労働に親元から離されて、駆り出されて学問はほっとかされて、働かされた。その時、空襲でグラマン戦闘機に狙われ、パイロットの顔がはっきり見えるまで急降下してくる戦闘機に狙われたことがある。幸いに今も生きているが、はっきりとその状況は覚えている。りんご

つい先日、SAの関係で年齢は私より10年ほど上の方であるが、親しく一緒に奉仕活動をしていた方を天に送った。その方は違った貴重な生涯を送られた。徴兵で兵役に取られ。終戦の時、広島に駐在し原爆投下の瞬間に運動場で朝の体操をしている時で、周囲の兵隊の殆どが死んだのに、自分は奇跡的に・・将に奇跡としか言いようの無い生を受けた。そして、放射能を受けていると思われるのに88歳まで生き、死の2週間程前まで私と話しをして、また元気に出てこられるのを私も信じていたのに、家族の方のお話では、全く苦しみもなく椅子に座って眠るように息を引き取られたとのことである。家族の方にとっては未だ悲しみは尽きないとお察しするが、赦して頂きたいが・・理想的な生涯を見たような気がする。ウサギ

人間は、何時かはこの世界から消えなくてはならない。時々、自分の進んできた道を振り返って見るのも意義があると思う。後期高齢者には今更どうしようもないが、若い方は、今日のひと時、ひと時が振り返った時、思い出深い時であるよう願って歩んでほしい。
今日は、いよいよ春本番を思わせる暖かい日で、piaNPO近くの天保山公園へ桜を観に行った。殆ど満開と言っていいすばらしい景色であった。その一部がこの写真です。

posted by pia NPO at 15:22| SAさんのコ・ラ・ム

2009年03月25日

平等

政府は、給付金を一様に配付する方法で給付を始めている。ばら撒きで景気浮揚にあまり効果が無いとの批判もある。この制度の良し悪しは別として、どのような配付の仕方が最も平等か?との議論を見ていて、あらためて「平等」の意味を考えさせられた。同じ様に給付することが必ずしも平等ではない場合があるのも事実である。いちご2

少し前には、「格差」の問題が叫ばれたが、日本は殆どの人が「中流階級」と思っているとの調査結果もあるように、国民の多くは平等を望んでいる。この金融危機で風向きが大きく変わり、従来の方式が否定されることとなったが、逆に、アメリカなどは競争で勝った者が多くの利益を得て、格差が出来るのはある程度当然との考えが支配的のようでであった。しかし、初めての黒人大統領が、「変革」を標榜して国民が賛同し当選を果たした。世界一の経済大国でも「格差」がクローズアップされている。ニワトリ

格差を無くし、平等にと言ってもそれは簡単ではない。男女平等の問題でも同様である。男の私が言っても非難されそうだが、ただ、男を非難攻撃し押さえ込んでも解決しないと思う。しかし、同性から見ても非難されるべき事実もあることを認めざるを得ないので、それを認識させる啓蒙は必要であると思う。アメリカで、黒人の権利を得るため「暴力でなく、正義で」と叫んだキング牧師の言葉は今になって更にその重みを感じる。ごはん

世界的経済危機に直面して、従来の方式の欠陥が浮き彫りにされ、大国だけでなく、新興国も含めた幅広い協調の必要性が叫ばれてきていることは喜ばしいことであるが、多くの問題を抱える現在の世界は、果たして解決策が見出せるのか一寸不安である。
どうすれば良い意味の競争による発展と、同時に平等と感じることが出来るか、日本国内も世界も真剣に考える時が来ている。いずれにしても、利己主張が強すぎては解決しないことは確かである。プレゼント>


posted by pia NPO at 11:44| SAさんのコ・ラ・ム

2009年02月06日

潤い

今年もはや、立春、節分、暦ではもう春が始まる。正月、恵比寿祭り、などでも将来の不安から、良くなってほしいとの願いで、多くの人々を参拝に駆り立てた。山

節分では、古くから豆まきをし、玄関には柊木の枝に焼いた鰯の頭を飾ったものだ。最近では、恵方(今年は東北東)に向かって太巻きの巻寿司を頬張るのが流行っている。これは、いろいろな説があるが、大阪の海苔業者が広めたとも言われる。続いて、バレンタインデーになるとチョコレートが贈られる。チョコレートを贈ることは、イギリスから始まったとも言われるが、女性から男性に贈り、次のホワイトデーで男性がお返しをするという習慣は、日本だけらしい。これも業者に乗せられているのだろう。バレンタインデーそのものは、3Cに殉教した司祭を偲ぶ、神聖なものだがその由来を知っている人は少ないのではないか。りんご

これらの習慣の中には、業者に上手く乗せられたものも多いが、多くの人は、それを承知の上で、楽しんでいるようである。
最近は、なんでも合理化、機械化、自動化する時代であるが、一方では、そろそろ考え直そうとの動きも出てきている。ファーストフードに対してスローフードと言う言葉が出てきたのもその一つであろう。カバン

他方、人が亡くなっても、葬式をしない、これを直葬というらしいが、このようなことが増えつつあり、お寺が危機感をもっていると書いてあったが、お寺でなくても、一寸、行き過ぎにも思える。確かに、古い習慣には考え直すべきと思うものもあるが、人間同志の関係が益々薄れてしまう気がする。サボテン

無駄に思うこともあるが、これらは文化であり、無くなっていくのは寂しいし、いわゆる、潤いのない社会になることを恐れる。赤ちゃん
                
                 (写真はスロベニアの結婚式)
posted by pia NPO at 11:53| SAさんのコ・ラ・ム

2009年01月21日

何に頼る

新しい年を迎え、早くも1ヶ月を経過しようとしているが今年は暗い話ばかりの感がある。
一般の人もそれを感じて、少しでも良い方向へ向かってほしいと願って日本国中の神社、寺に初詣に、また続いての恵比寿神社へも、記録的な人数が参拝に訪れた。ハート

「困ったときの神頼み」の現象とも云えるが、これを笑ってばかりいられない気がする。人々は、人間の限界を感じて、絶対の力に頼りたくなる気持ちになるのだろう。日本人は、何にでも神にしてしまい拝む傾向にあるが、それも日本人の温厚な良い性質のひとつと思う。人類の力の限界を知ったことは良い機会であるともいえる。りんご

昨年暮れには、4人の日本人(米国席の方もいるが)ノーベル賞受賞者が出た。その中のお一人、南部博士は夫人の病気との理由で、表彰式を欠席され、記念講演も代わってイタリヤ人の学者が行った。その方は、発表論文の共著者だそうで、実は南部博士が夫人の病気を理由に晴れの舞台を譲られたとの意見を読んだ。日本人の良い一面を見た感がある。山

最後は絶対の力、神に頼るのも人間の良い一面ではあるが、まず、人間同士、即ち隣人同志を愛し理解しあうことが第一である。日本が率先して世界平和実現に貢献してほしいものである。アメリカの始めての黒人大統領が就任し、アメリカのみならず、世界がいまの閉塞感を打破して明るい未来にしてほしいと望んでいる。神頼みばかりでなく皆の努力が必要である。カバン

(写真:ドイツの風車)
posted by pia NPO at 11:39| SAさんのコ・ラ・ム