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【公衆衛生医師の日常】藤井聡太九段の将棋には本当に隙がないのか(福島県相双保健所長 堀切 将)[2022年05月20日(Fri)]
新型コロナウイルス感染症が流行し始めて、はや2年半が経過しようとしています。自身の生活を削るような日々を過ごしてきた行政医師の先生方も少なからずいらっしゃることと思います。時には、仕事を離れた話題に触れるのも良い気分転換ではないかと思い、私の趣味のひとつについての考察を述べようと思います。

○命題はたぶん、真である
この一言で終わらせては余白が広すぎてしまいますので、私では「たぶん」真であるとしか表現できない、ということも含めて考察を続けます。将棋に興味のない方でも、棋士、藤井聡太九段(以下、藤井九段)の名前はご存知だと思います。その藤井九段に関するニュースを見ますと、藤井九段の指す将棋が、「隙がない」と表現されることが多々あります。

ここで疑問なのですが、記者や将棋ファンは、藤井九段の棋譜(対局の手順の記録)を見て、「なんと隙のない将棋だ」と感嘆できるのでしょうか。私の棋力では、藤井九段の棋譜を追っても、どのあたりが他のプロ棋士でも気付けない手なのか、見抜くことができません。アマチュアの高段者であろうと、たといプロ棋士であっても、全ての指し手をきちんと理解できていなくても不思議はありません。それにもかかわらず、プロ棋士も含めた、多くの将棋ファンたちは何故、藤井九段の将棋には「隙がない」と評価するのでしょうか。

○「隙がない」の発生源
今から10年ほど前、2012年4月22日のことです。NHKは毎週、プロ棋士によるトーナメント戦を放映しており、この日に放映された対局は、佐藤紳哉六段(当時の段位。以下、佐藤六段)対豊島将之七段(当時の段位。以下、豊島七段)。その際、各対局者へのインタビューも放映されるのですが、NHKの番組ということもあり、ごく一部の例外を除き、当たり障りのない受け答えになるのが常道でした。

しかし、この日の佐藤六段の内容は衝撃でした。対局相手である豊島七段の印象を聞かれて「豊島?強いよね。序盤中盤終盤、隙がないと思うよ。だけど、俺は負けないよ」と答えたのです。この台詞は、プロアマ問わず、将棋界を席巻しました。その後、どれだけの人たちが公私問わずにこれを真似したことか。当時はまだプロではなかった藤井九段(10年前の段階で、この子は天才だ、と注目されていたのです)すら、対局で負けた後に「序盤、中盤、終盤、隙だらけでした」とリップサービスしているほどです。

ここではご紹介しませんが、この一連の流行をまとめた動画は、巨大動画サイトで簡単に見つかります。そしてその頃から、棋士の棋風や対局内容を表現するのに、「隙がない」と言っておけば、将棋を「知っている人」の意見だと思わせることができるようになりました。以降、時間が経過することでこれらの背景を知らない人も、どうやら棋士や将棋の内容を評価するには「隙がない」という言葉が使われるようだ、と学び、どんどんと拡散していった、と考えられます。

将棋盤.jpg

○豊島七段の強さの証明
将棋に詳しくない方こそ、ここまでで疑問に思うことがありませんでしょうか。佐藤六段の言葉遣いが異質だったとはいえ、「豊島七段が強い」ことや「序盤中盤終盤、隙がない」ことは、そこまで印象に残る言い回しなのでしょうか。このことに言及した文章を、私は見たことがありません。ここを考察してみます。

豊島七段は現在こそ、藤井九段のライバルと目されておりますし、ここ数年の充実ぶりから、将棋界のトップクラスの実力者と言えます。今年度のNHKでの棋戦でも優勝しています。しかし、10年前のまだ21歳、七段の時点で、「豊島七段が強い」と言い切れたのでしょうか。この答えは、是、です。若いプロ棋士が、今後どのくらい活躍できるかを判断する基準はあるのです。プロになった(=四段になった)年齢です。

若くしてプロになった棋士ほど、その後活躍していますし、20歳を過ぎてからプロになった棋士が大きな活躍をするのは稀です。将棋界で、中学生のうちにプロになれた棋士は、今までに5人しかいません。加藤一二三九段、谷川浩司九段、羽生善治九段、渡辺明九段、そして藤井聡太九段です。藤井九段を除き、全員が将棋界で最も古くからある称号、名人を獲得しました。だからこそ、藤井九段は、プロになった時点からすぐに騒がれたのです。では、豊島七段はどうだったか。

将棋のプロ棋士になるためには、プロ棋士の養成機関である、通称、奨励会の入会試験に合格し、昇級、昇段を重ねて四段にまで到達しなければなりません。奨励会入会試験に合格するには、アマチュアで県代表クラスの実力が要求されますが、豊島七段は、史上最年少の9歳で入会しています。また、プロになる一歩手前、三段に到達したのも、藤井九段に更新されるまでは、これも史上最年少でした。そこから少し足踏みをしたものの、晴れて四段となったのは16歳であり、プロになった平均年齢より十分若い。従って、豊島七段が「強い」ことは正しい、と言えます。

○佐藤六段は真実を述べていた
そして、豊島七段の将棋を、「序盤中盤終盤、隙がない」と評するのは正しいのでしょうか。豊島七段に限らず、将棋のプロになる人たちは、それまでに将棋の基礎はすべてできているわけで、例えば、水泳の個人メドレーの日本代表選手に対して、「バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール、どれも速い」と評するようなものです。

つまり、佐藤六段は実は、普通のことしか言っていないのです。私が佐藤六段のインタビューを面白いと感じたのは、その立ち振る舞いや口調もさることながら、「実は当たり前じゃないか」と思わせてくれたところなのです。

将棋において「隙がない」という表現ができたのは、以上のような経緯があった次第で、当初と様変わりしてのことであったとご理解いただけたと思います。そして、藤井九段の将棋に隙がないのはおそらく正しいのですが、ほとんどの人は、このことをきちんと証明できないまま使っている、ということもご理解いただけたと思います。

○おわりに
それにしてもこの「隙がない」という言葉ですが、最初に佐藤六段が発言し(発生)、テレビ地上波やインターネットで広がり(拡散)、内容が少しずつ変化し(変異)、普遍的に使われるようになった(共存)わけで、これこそまさに、ウイルスが人間社会に馴染んでいく過程そのものだな、と感じる次第です。

 *****

今回の記事は、先日「公衆衛生情報」という雑誌の「期待の若手シリーズ〜私にも言わせて!」というコーナーの原稿を依頼されたのですが、「何を書いてもいいよ」というお言葉を真に受けすぎて書いたものです。公衆衛生と全く関係がないという理由でボツになり、雑誌にはすっかり書き直したものが掲載されています。

実は上記の記事が最初に書いた原稿なのですが、こちらの原稿のほうが力を入れて書いている上に、書き直した原稿は時間に追われての執筆でしたので、やや不本意な出来だったなと反省していたところでした。そんな折に事業班の先生方にこのボツ原稿を読んでもらったところ、面白いからブログに書いてくれと大変ありがたいお誘いを頂きましたので、こちらに書かせていただきました。ご笑覧いただけると幸いです。
(福島県相双保健所長 堀切 将)
Posted by 公衆衛生医師確保育成事業班 at 22:00 | 公衆衛生医師の日常 | この記事のURL | トラックバック(0)
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