文章自体は題名の通り新任(となるであろう)公衆衛生医師向けに書かれていますが、これから公衆衛生医師を志す学生や若手医師、そして我々現役の公衆衛生医師にとっても「刺さる」名文です。
関先生、ご寄稿いただき、まことにありがとうございます!
〜2022年4月に着任された方のために〜
はじめに
今年度から新しく公衆衛生医師になられた方へ。ようこそいらっしゃいました。一緒に働くことが出来るのを嬉しく思います。
今回あなたが配属されたところが保健所であっても、都道府県の保健衛生部署であっても、これからしばらくの間経験するのは、「日常」ではなく、「非日常」の日々であると認識しておいていただくと、仕事を理解しやすいかと思います。
というのは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が発生して以来、感染症対策が保健所業務の中心となるという、異常な状況が生じているからです。
東京都特別区の場合、これまでの公衆衛生医師の日常は、どちらかというと母子保健や精神保健、健康づくりといった予防医学を中心として構成されており、各種健診・検査業務、健康教育、事例検討や調整会議、感染症診査協議会などの定型業務をつつがなく行い、年間計画に基づいた研修会・普及啓発イベント・訓練等をこなすことが主な業務でした。
これに加えて管理職は、年中行事として他部署の主催する会議への出席や議会対応、国や都道府県の説明会や会議があります。
その合間に住民や医療機関からの相談や苦情に対応し、必要に応じて保健師等と訪問し、各種学生実習を受け入れ、食中毒や集団感染事例が発生すれば生活衛生課等と一緒に動き、地域診断を行い、新規事業の導入を検討する、といったところでしょうか。保健所は地域の関係団体と連携し、住民の健康を守っていく立場にありました。
2020年1月にCOVID-19が国内発生して以降、保健所の電話は鳴り止まなくなり、発生届のFAXが溢れ、国の事務連絡が次々と届くメールボックスは常に容量制限を超えていて、突然招集される臨時の会議や説明会が乱発され、議会やマスコミからの問い合わせが増え続け、日常業務ができなくなりました。
集団健診は縮小され、対面での講演会、研修会や会議が次々とオンラインに変わり、講堂や会議室は応援職員用の事務室になりました。
健康づくりよりも危機管理が優先され、医師や保健師だけでなく、事務職もCOVID-19に関わる仕事ばかりするようになり、多数の庁内応援職員や人材派遣職員が事務室内に溢れるようになりました。
すでに2年以上このような状況が続いているものの、戦後日本の保健所の歴史からすれば、これは明らかに「非日常」です。
今、現在進行形で経験していることとは
現在公衆衛生医師の私達が直面している現実は、今世紀最大規模の新興感染症の流行です。
2019年末、世界の片隅で新たなウイルスによる感染症が発生しました。
このウイルスは人の移動によって瞬く間に全世界に拡大し、人々が密集するような場やイベントを通じて大規模な集団感染を形成しながら、陽性者を増やし続けました。徐々にウイルスの性質や感染経路は明らかになり、PCRによる検査方法が確立し、全世界で陽性者数の全数把握が始まりました。
治療方法やワクチンがない状況において、多くの国で死者が発生しました。日本においても陽性者が増え続ける中、受け入れ病床はあっという間に足りなくなり、入院隔離だけでなく、自宅療養、宿泊療養といった概念が誕生し、即座に運用が開始されました。
また、発生届の電子化、入院調整本部の設置、医療機関や患者本人による健康観察や濃厚接触者の同定など、これまで手が付けられていなかった公衆衛生対策も進みました。
ウイルスは変異を重ね、何度も波となって襲ってくる中、三密回避(新しい生活様式)、手指消毒・マスク着用(ユニバーサルマスキング)、クラスター対策(封じ込め、前向き調査)、緊急事態宣言(外出制限、ロックダウン)、まん延防止措置、接触通知アプリ等、各国で様々な対策が生み出され、ウイルスの広がりを阻止することにチャレンジしました。mRNAワクチンが開発され、100%を目指した住民接種が実施される中、点滴による治療薬が開発され、経口薬も承認されました。
現時点において都内では、ウイルスの病原性に基づき、健康観察が50歳以上や基礎疾患を有する者に限定され、宿泊療養や自宅療養に係る食料・パルスオキシメーターの配送といった調整が、保健所業務から切り離されるところまで効率化が進んでいます。
つまり私達は現在、新興感染症の発生が確認され、新たな感染症の一つとして認知され、人に重篤な影響を及ぼす感染症として対応せざるを得なくなり、法改正が行われ、サーベイランスや公衆衛生対策、医療体制の仕組みが組み立てられ、定着していく過程そのものを、日々ウイルスの増減と共に体感しているという、非常に稀な状況をリアルタイムで経験しているのです。
(COVID-19発生から2021年10月までの経緯については、詳しくは拙著『 保健所のコロナ戦記TOKYO2020-2021』を参照ください)
歴史に足跡を残す者として
患者数の多い感染症の全数把握を続けることは非常に大きな労力である一方、集積されたデータや検体のゲノム解析により、季節性インフルエンザ等では憶測に過ぎなかった日本社会におけるウイルスの伝播について、どこからやってきてどのように流行を形成するのかが、ある程度解明されたことは非常に画期的だと思われます。
また、住民接種において100%の予防接種率を目指すためにはどのような体制とシステムが必要であり、どのような広報戦略やリスクコミュニケーションが必要かも、段々分かってきました。
流行の波を繰り返す毎に検証を重ねつつ、このような新たな知見を集積し、今後の感染症対策に活かすことができる制度の設計や、現場レベルでの定着に向けた体制整備等については、まだまだ途中の段階です。
1947年にGHQにより「新しい保健所」が日本に誕生した瞬間を経験した人は、もはや現場に残っていません。保健所という行政組織が、内務省管轄の住民の監視役から、各種専門職による科学的知見を備えた健康づくりの拠点へと生まれ変わった瞬間として、「モデル保健所」の落成式は歴史的な瞬間であったことでしょう。
それまでの日常業務が廃止され、非日常となり、新たに配置された多くの専門職による新規事業が開始され、その後それらが現場に定着し、日常業務になるまでには、様々な試行錯誤があったに違いありません。
非日常を体感した職員の創意工夫により、制度として脈々と受け継がれ、私達はその功績により、恩恵を預かっています。
いつの日か、「臨時対応」が「定型業務」となり、この「非日常」が新たな「日常」になった時に、COVID-19との闘いはいったん終結することでしょう。それまでの道のりを闘っていくのは、今、ここにいる、皆さんを含む、私達しかいません。
だからこそ、今ここにある先の見えない状況においても、どうか皆さんは、ご自身が歴史に足跡を残す者であり、未来の新しい「日常」を作る者なのだという気概を持ち、目の前にある業務に取り組んでいただけたらと思います。
人々の健康が守られ、ともに幸せに暮らしてゆくために、保健所はあります。みなさんが、これまで培ってきた医学の知識と経験を活かしながら、末永く、この「公衆衛生」という分野の仕事に取り組んでいただければと、心より願っております。
東京都 特別区保健所 保健予防課長 関なおみ
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関先生のご著書については、下記サムネイルをクリックいただくと詳細がごらんになれます。とても読みやすく、コロナ第5波以前の東京都の状況が、その場にいたかのように臨場感をもって伝わってくる、公衆衛生や感染症防疫に興味のある方必読の一冊です。
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(紹介文担当:北海道保健福祉部地域医療課・地域保健課・感染症対策課 村松 司)