
地方行政医師のキャリアパスの一例「県庁から中核市へ出向」(宮崎市保健所長 西田 敏秀)
[2020年07月08日(Wed)]
公衆衛生医師となったきっかけ
私は、学生時代に衛生学の教授と親しかったこともあり、環境保健分野のセミナーや実習に参加していました。循環型社会の実現や環境保全といった内容でしたが、生活習慣の見直しや健康維持にもつながる興味深い内容であったと記憶しています。そのほかにも、公衆衛生学の講義で医系技官の先生の話に興味をもったり、保健センターでの実習で家庭訪問をしたりといった経験をしていました。
卒業後の臨床研修では保健所実習の経験はありませんでしたが、病院で放射線科医として仕事をしていく中で、医療費の問題など社会医学への興味は常々もっていました。
卒業後の臨床研修では保健所実習の経験はありませんでしたが、病院で放射線科医として仕事をしていく中で、医療費の問題など社会医学への興味は常々もっていました。
宮崎県へ入庁
もともと、私は幼少時から中学までを宮崎市で過ごしており、親も宮崎に残っていました。老後の心配等もあったため、縁あって宮崎県に入職しました。
保健所に勤務して最初の仕事は感染症担当でした。当時、管内で百日咳の集団感染が起こっており、国立感染症研究所の実地疫学専門家養成コース(FETP)の先生方と一緒に仕事をさせていただくなど貴重な体験をさせていただきました。
その後も、入庁以来数年、感染症関係の仕事をメインにしていたこともあり、結核病学会認定医やICDを取得し、所長になった今でも、大学院のICN養成コースで講義をするなど、感染症に関わる仕事を継続しています。
人とのつながりを大切に
宮崎県の公衆衛生医師の養成システムは、入庁後数年間で数々の研修に出してもらえるようになっています。国立保健医療科学院の3か月の長期研修にも出させていただき、全国から集まった同志とともに学ぶ機会を得たことは、職場に同世代の医師がいない私にとって、心強いものでした。いまも学会や全国保健所長会、研究班活動等の中でつながりをもち続けています。
また、3年前より、県職員でありながら、中核市の所長を任される立場となり、市町村業務を経験できる機会を得ています。県と市の立場の違いを理解しつつ、県市間での架け橋となれるよう日々心掛けています。
公衆衛生の魅力
医療だけでなく、他の業種の方々とも関わる機会が多く、いろいろな方々とつながりをもてることが、公衆衛生の魅力でもあると思います。一人ひとりの力は小さいけれども、みんなで協力することで大きな力となることを、さまざまな事例を通して感じています。また、社会の動きとともに日々いろいろな事例があり、改めて公衆衛生のフィールドの大きさを認識させられています。住民の生活、生命、生きる権利を「衛(まも)る」、公衆衛生医師として、今後も精進していきたいと思います。
(地元ショッピングモールでの啓発活動 結核予防と骨髄バンク)
筆者プロフィール
平成19年 熊本大学医学部医学科 卒
その後、平成22年まで熊本県内で卒後臨床研修、放射線科臨床に従事
平成23年 宮崎県庁入庁、延岡保健所 技師
平成26年 宮崎県庁健康増進課 主査
平成27年 小林保健所 主幹
平成28年 延岡保健所 主幹
平成29年 宮崎市保健所 所長(現職)
資格・専門医 等
社会医学系専門医・指導医
日本結核・非結核性抗酸菌症学会 結核・抗酸菌症認定医
ICD
日本医師会認定産業医
宮崎大学 非常勤講師