
救命救急から地域保健へ(大阪府健康医療部(前・寝屋川市保健所長)宮園 将哉)[2020年06月18日(Thu)]
私は大学卒業後、2年間の臨床研修を経て救命救急センターで働き始めました。元々公衆衛生の分野には全く興味がなく、医師を志したきっかけが救急医療の分野に興味があったからなのですが、実際に働いてみると自分が思い描いていた現場と違うように感じ始めたところに、地域保健や医療行政の分野で働いてみないかという誘いもあり、公衆衛生の分野で働き始めることになりました。
公衆衛生の分野に入って初めての職場として、府庁の中で医療計画や救急医療など政策医療を担当している部署に配属されたのですが、病院では外来処置室やICUや一般病棟や医局の控室など病院内にいくつも居場所があったものの、新しい職場では自分に与えられたスペースは自分の机1か所だけで(といっても普通のサラリーマンはみんなそうなんですが)大変窮屈に感じたのを覚えています。
救命救急センターで勤務していたころは重症患者を受け持つことが多かった上に、勉強のために他の先輩医師が受け持つ患者も一緒に見せてもらったり、ガーゼ交換などの処置に入ることも多かったことから、毎日夜遅くまで、さらには休日も長時間病院にいましたので、いつ患者が急変するかとオフの時間も含めて気が休まる時間が全くありませんでした。
しかし、府庁で働き始めるとそれなりに残業は多かったものの病院で働いていたころのほどではなく、また土日は基本的にオフなので一時的にでも仕事のことを忘れることができる上に、必要な場合は年次休暇を取ってリフレッシュできることを知って、普通の社会人はこんな生活をしていたのか!(これも普通のサラリーマンにとっては当たり前の話ですが)と驚いたのを覚えています。
最初に配属された部署で担当した仕事は、医療計画の策定に当たって集めた病院や診療所の情報を一般の方にわかりやすく提供するシステムを考える仕事でした。当初は紙媒体としての「病院マップ」をつくる予定になっていたのですが、ちょうど大阪府の「救急医療情報システム」を更新する時期に当たっていたことから、このシステムの更新に合わせて救急病院だけではなく府内すべての医療機関の情報をインターネットで提供するシステムをつくることになりました。
当時はインターネットが一般に普及し始めた時期でもあり「府内全ての医療機関の情報」を「インターネットで提供する」システムは他になく、期せずして全国初のシステム開発に携わることになりました。どんな情報項目をどう分類して一般の人でも検索しやすくするにはどうすればいいのか考えたり、情報の精度を保つための仕組みを考えたりするような様々な苦労があった一方で、医師としての知識がなければわからないことも多かったため、やりがいを持って取り組むことができました。
救急医療情報に関する部分のシステムを検討する際には、救命救急センターで働いていたときの上司の先生の意見を聞きにいくこともあり、元上司の思いを形にすることが臨床医や臨床現場を応援することにつながることを実感できたことも大変貴重な体験でした。また、公衆衛生医師の大先輩である当時の部長にこのシステムに関する決裁をもらいにいったときに「これ、君がやった仕事なんやってね。大仕事で大変やったやろうけどおもしろかったでしょ。お疲れさま。」と言われたときには涙が出そうなほど嬉しかったことを覚えています。
もちろん公衆衛生分野のこういったプロジェクトでは、多くの同僚やいろいろな関係者の人たちと一緒に仕事を進めていきますので、自分1人が関わった部分はごく一部でしかありませんが、このように都道府県全域に関わるような仕事は臨床にはない大きな達成感を得ることができると思います。公衆衛生分野にご興味をお持ちの若い方々には、このように多くの住民の健康に役立つ仕事の中で、私たちと一緒に公衆衛生の楽しさを味わっていただきたいと考えています。