永住権とれるかな[2007年07月14日(Sat)]
二度目のビザ更新。
行ってきました入管へ。前回は更新日よりだいぶ前に行ったのに、今年は雑用が入りギリになってしまった。
今回は、永住権の申請も行った。
うちの場合、勤め人ではないので、収入の証明というのが結構めんどくさい。
フリーランスだからいろいろな会社と取引があるのだが、源泉していないところもあったりして、この仕組みを家のペルー人に説明しつつ、住民税の支払証明と所得証明をもらわなくてはならないのだ。
昔「地図の読めない女」という表現があったけれど、日本の役所のシステムと書面のやり取りについて本当に家のペルー人に説明するのが難しい。
かばうわけじゃないが、知的レベルで言えば私よりも遥かに上の人だと思う。
しかし、ほんとうに税金のことや、社会保障、税金の扱いについては理解してくれない。
で、毎回だいたい大ゲンカになる。
特に最近では、個人情報の云々というのが強化されているせいか、本人が書面を書くことを求められる。
家のペルー人は、私が書けば済むことだと思っていて(自分は日本語ができないのだから)、私がいればそれで問題なしと踏んでいた。
ところが、だめなのだ。うちはそれぞれが個人経営なので、別々に申告をしていた。
よって、証明書等の申込も本人が書いてほしいという。
すでにここでエネルギーを消耗。
しかし、日本の行政が素晴らしいところは、書類がそろっていればあっという間に証明書がもらえる。袖の下も必要なしだ。みんなとっても勤勉なのだ。
翌日は、大雨の中入管へ。
普段のビザ更新のほかに、永住権の申請があったので、書く書類が倍に。
前回の教訓も含めて、案内にあったもの以外のものもいろいろ用意していった。
銀行残高証明のほかに、取引先証明などなど。
結局それらは使うことがなかったが、家系図を書いたり家の近所の地図を書かされた。
受付のところで並んでいたら、見たところはペルー人(ラテン系)に見える男性(泡盛と書かれたTシャツが印象的だった)が、同じ地区から来た人なのだわかる。
日本人の奥さんがいるから婚姻ビザの更新のようだ。申込書がほとんど白紙だったこともあり、いろいろ指摘を受けていた。
日本語がよくわからないのかすごく困った顔をしていた。奥さんから渡されたと思しき書類を取り出していたが、係りの人から書面に必要事項を出来るだけ詳しく書いてほしいのだと言われていた。わかれば彼だって、とうに記入済みのはずだ。
家のペルー人が、「かわいそうだよね、奥さんもくればいいのに」というので、ブチ切れ。
普段の日に休める人ばかりじゃない。おのれもひとりでこんかい!!私だってそうとう労力はらっているんだぞ。
いつも思うのだが、一応日本語と英語で申し込み用紙は書かれているものの、日本語で読んでもなにを聞かれているのかよくわからないことがある。
英語と照らし合わせて、意味を理解するという始末だ。スムーズに窓口業務を済ませるために、書類の書き方を教えてくれるボランティアスタッフを用意してくれる日とか、あったらいいな。これは甘えすぎ???
申込用紙を受け取るところでは、一応いろいろ教えてくれるものの、忙しそうなので聞くのも難しいときがある。
まあ、これは入管に限ったことではないけれど、入管の外にあるコンビニの2階は行政書士事務所というのも、なんだかなだ。
申込を渡した時点で150人待ち。
前回よりもずっとましだった。
後ろにいた日系ペルー人と思しき家族と雑談したり、小腹を満たしているうちにどうにか呼ばれた。
いつものビザはすぐに更新されるけれど、永住権はいつになるかわからないから、気長に待ってねと窓口で言われる。
ああ、永住権が取れたらここにくることももうないのかな。
ほんと、決まり切ったことだとわかっていても、ものすごくエネルギーを消耗する。
ほっとしてご機嫌な家のペルー人と、疲れた上に大雨の湿気で、髪が爆発して不機嫌な私。
遅くなった昼とおやつをおごらせ、帰途についた。
最寄駅の降り立ったら、30分後になんと喜納昌吉の街頭ライブの知らせ。
かぶりつきで場所を確保し、ハイサーおじさんとか、いろいろサンシンと喜納昌吉の歌に癒された。カチャーシを踊りながら、家のペルー人より盛り上がっていた。
「私は、左翼でも右翼でもない。しいていえば”仲良く”だ。みんな仲良しになろう」
喜納さんの言葉に心打たれ、不覚にも「花」の歌に涙した。
ミーハー根性で、写真を一緒に撮らせてもらい、本日がんばった自分のご褒美にしたのだった。
行ってきました入管へ。前回は更新日よりだいぶ前に行ったのに、今年は雑用が入りギリになってしまった。
今回は、永住権の申請も行った。
うちの場合、勤め人ではないので、収入の証明というのが結構めんどくさい。
フリーランスだからいろいろな会社と取引があるのだが、源泉していないところもあったりして、この仕組みを家のペルー人に説明しつつ、住民税の支払証明と所得証明をもらわなくてはならないのだ。
昔「地図の読めない女」という表現があったけれど、日本の役所のシステムと書面のやり取りについて本当に家のペルー人に説明するのが難しい。
かばうわけじゃないが、知的レベルで言えば私よりも遥かに上の人だと思う。
しかし、ほんとうに税金のことや、社会保障、税金の扱いについては理解してくれない。
で、毎回だいたい大ゲンカになる。
特に最近では、個人情報の云々というのが強化されているせいか、本人が書面を書くことを求められる。
家のペルー人は、私が書けば済むことだと思っていて(自分は日本語ができないのだから)、私がいればそれで問題なしと踏んでいた。
ところが、だめなのだ。うちはそれぞれが個人経営なので、別々に申告をしていた。
よって、証明書等の申込も本人が書いてほしいという。
すでにここでエネルギーを消耗。
しかし、日本の行政が素晴らしいところは、書類がそろっていればあっという間に証明書がもらえる。袖の下も必要なしだ。みんなとっても勤勉なのだ。
翌日は、大雨の中入管へ。
普段のビザ更新のほかに、永住権の申請があったので、書く書類が倍に。
前回の教訓も含めて、案内にあったもの以外のものもいろいろ用意していった。
銀行残高証明のほかに、取引先証明などなど。
結局それらは使うことがなかったが、家系図を書いたり家の近所の地図を書かされた。
受付のところで並んでいたら、見たところはペルー人(ラテン系)に見える男性(泡盛と書かれたTシャツが印象的だった)が、同じ地区から来た人なのだわかる。
日本人の奥さんがいるから婚姻ビザの更新のようだ。申込書がほとんど白紙だったこともあり、いろいろ指摘を受けていた。
日本語がよくわからないのかすごく困った顔をしていた。奥さんから渡されたと思しき書類を取り出していたが、係りの人から書面に必要事項を出来るだけ詳しく書いてほしいのだと言われていた。わかれば彼だって、とうに記入済みのはずだ。
家のペルー人が、「かわいそうだよね、奥さんもくればいいのに」というので、ブチ切れ。
普段の日に休める人ばかりじゃない。おのれもひとりでこんかい!!私だってそうとう労力はらっているんだぞ。
いつも思うのだが、一応日本語と英語で申し込み用紙は書かれているものの、日本語で読んでもなにを聞かれているのかよくわからないことがある。
英語と照らし合わせて、意味を理解するという始末だ。スムーズに窓口業務を済ませるために、書類の書き方を教えてくれるボランティアスタッフを用意してくれる日とか、あったらいいな。これは甘えすぎ???
申込用紙を受け取るところでは、一応いろいろ教えてくれるものの、忙しそうなので聞くのも難しいときがある。
まあ、これは入管に限ったことではないけれど、入管の外にあるコンビニの2階は行政書士事務所というのも、なんだかなだ。
申込を渡した時点で150人待ち。
前回よりもずっとましだった。
後ろにいた日系ペルー人と思しき家族と雑談したり、小腹を満たしているうちにどうにか呼ばれた。
いつものビザはすぐに更新されるけれど、永住権はいつになるかわからないから、気長に待ってねと窓口で言われる。
ああ、永住権が取れたらここにくることももうないのかな。
ほんと、決まり切ったことだとわかっていても、ものすごくエネルギーを消耗する。
ほっとしてご機嫌な家のペルー人と、疲れた上に大雨の湿気で、髪が爆発して不機嫌な私。
遅くなった昼とおやつをおごらせ、帰途についた。
最寄駅の降り立ったら、30分後になんと喜納昌吉の街頭ライブの知らせ。
かぶりつきで場所を確保し、ハイサーおじさんとか、いろいろサンシンと喜納昌吉の歌に癒された。カチャーシを踊りながら、家のペルー人より盛り上がっていた。
「私は、左翼でも右翼でもない。しいていえば”仲良く”だ。みんな仲良しになろう」
喜納さんの言葉に心打たれ、不覚にも「花」の歌に涙した。
ミーハー根性で、写真を一緒に撮らせてもらい、本日がんばった自分のご褒美にしたのだった。