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ペルーちゃんぷるー
日系ペルー人と私のちゃんぷるな毎日を書いています。
沖縄のこと、ペルーのこと。不定期更新です。

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ブログの引っ越しをします[2007年08月05日(Sun)]
こちらのブログも結構居心地がよかったのですが、思うところがあり
新しいブログに引越すことにしました。


新しいブログは・・・・・

http://ameblo.jp/peruchanpuru/

タイトルは同じまま。

新しいブログでも、今のブログのリンクを移動させたいと思いますので、
何卒よろしくお願いします。

こちらのブログは今のところ現状維持にしておきますね。
【(カテゴリなし)の最新記事】
おじさんが亡くなった[2007年07月25日(Wed)]
家のペルー人のおじさんは、一人を除いてみんな日本で暮らしている。
最初の日系人の出稼ぎ世代で、父親を早くに亡くした彼にしてみるとおじさんたちは、父親のかわりもしてくれたという。
サッカーを一緒に見に行ってくれたおじさんや、学費を送ってくれたおじさん。
中でも、特にお世話になったおじさんが先週亡くなってしまった。

彼が日本に来たころ心臓発作を起こし、その後脳梗塞も患ってしまい仕事をすることができなくなっていた。特にこの数年はとても辛そうだった。
今年のお正月にみんなでお見舞いに出かけた。かわいがっていた家のペルー人やその兄弟を見て子供のように泣いていた。
脳梗塞の影響で、口を開くのが難しいためか、感情が涙になってあふれてくる。

おじさんは、すでに60過ぎだが、子供はまだ小さい。
12歳の女の子だ。
家のペルー人は、彼女のゴットファーザーになる。
彼がなぜこんなに結婚が遅かったかというと、日本人や日系人の結婚以外は認めてもらえなかったので、両親が亡くなってからの結婚になったからだと前に聞かされた。

本当は具合が悪いと聞いていたので、先週お見舞いに行かなくてはと話していたのだ。
しかし、今の仕事が休みを取るのが難しい上、入管のことやそのほか選挙関係と時間をやりくりすることが難しかった。
週末、奇跡的に元気を取り戻し、回復の兆しが見えていたのに、次の日そのまま帰天。
脳梗塞後も、ちゃんと薬を飲み機能回復に努めていれば、あんなにひどい状態にはならなかったとほかのおじさんが言っていたが、家族のお荷物になるのを苦にして、薬を隠し早く亡くなろうとしていたのだ。

12歳という幼い娘のことを思うと、子供の頃の自分と重なりとても悲しい。
ちょうど私の父親も、その年齢のころ病に倒れ、医師のアドバイスも聞かず飲酒をやめようとしなかった。
学校から帰ってくると、自宅で療養している父がいる。
音も形もないけれど家庭の中にある、未来の見えない不安、生活の不安。なによりもまだ保護が必要な自分の目の前で、父を頼ることはできない現実。
父は父で、家族のことや自分のことを悩みつらかったのだと思う。しかし、お酒をやめてもっと治療すればよくなるというのも聞かず、隠れてでもお酒を飲んでいた姿に、私は失望しか感じなかった。

それから、父親が本気で治療を始めようとした矢先、脳梗塞で倒れ、あっという間に老人のようになってしまった。
短い穏やかな日々の後、故郷に帰りその地で亡くなった。
私は、葬式もその前後もなにも覚えていない。亡くなる1ヶ月くらい前に会ったのが最後だった。

どれだけ多くの人に、かわいそうにとか、がんばってねとか声をかけられただろうか。
私は、そう声をかけてくれる人を心底憎んだ。
言葉だけだ。同情だけだ。誰も私の前に明かりもともしてはくれないし、なにも心配はないとは言ってはくれないではないか。
私はずっとがんばってきた。でも父は私の気持ちに答えてくれなかった。
そんな思いでいっぱいだった。

だから私はさびしくもないし、辛くもないのだと自分に言い聞かせていた。
もう私を悲しませるものもない。気持ちを裏切られる人もいない。
これからは、父親がいなくて幸せだと。
それは、泣くだけ泣いて父や私たちを忘れてしまう人たちへの反抗だと思っていた。

この年になると、親の気持ちもよくわかる。

今もし、あの頃の自分に会えたなら、未来は誰でも平等だと言ってあげたい。
父も母もあなたを愛していたのだと伝えてあげたい。
がんばってねという代わりに、いつも見守っているからと。

おじさんの残した娘は、家のペルー人のことをもう一人の父親のように思っていた。
それよりももっと特別な感情だったかもしれない。
でも、私という存在が現れて、彼女の心を曇らせてしまったことを私は感じていた。
それはだれのせいでもないけれど、自分の気持ちになぞらえると私にはわかる。

どうしてあげたらいいのか。
週末にお参りにのためおじさんのところへ行くことになっている。
幼い子供の気持ちを傷つけたくない。
そんな思いが、私自身一緒にいくことを躊躇しているのだ。

人の死は平等だ。
苦しみも痛みのない世界に行ったことが、悲しみではないことを理解している。
正直なところ、おじさんの妻と関係がうまくいっているのならばいいが、
もう何年もまえから崩れてしまっているので、残された母や子供とのことに明るい気持ちになれない。
特に、親族はそうだ。
第三者の私は、あの場でたった一人ぼっちの気持ちでいるかもしれない娘のことを考えて、
どんなにひどい妻だったと思っても、許してやることはできないかと思う。
ただひたすら、娘の幸せを願って腹立たしい気持ちを抑えながら、幸せを祈ることができないだろうか。

自分がなにをすべきなのか、ずっと考えているのだが答えがすっとでてこないのが悲しいのだ。
永住権とれるかな[2007年07月14日(Sat)]
二度目のビザ更新。
行ってきました入管へ。前回は更新日よりだいぶ前に行ったのに、今年は雑用が入りギリになってしまった。
今回は、永住権の申請も行った。
うちの場合、勤め人ではないので、収入の証明というのが結構めんどくさい。
フリーランスだからいろいろな会社と取引があるのだが、源泉していないところもあったりして、この仕組みを家のペルー人に説明しつつ、住民税の支払証明と所得証明をもらわなくてはならないのだ。

昔「地図の読めない女」という表現があったけれど、日本の役所のシステムと書面のやり取りについて本当に家のペルー人に説明するのが難しい。
かばうわけじゃないが、知的レベルで言えば私よりも遥かに上の人だと思う。
しかし、ほんとうに税金のことや、社会保障、税金の扱いについては理解してくれない。
で、毎回だいたい大ゲンカになる。

特に最近では、個人情報の云々というのが強化されているせいか、本人が書面を書くことを求められる。
家のペルー人は、私が書けば済むことだと思っていて(自分は日本語ができないのだから)、私がいればそれで問題なしと踏んでいた。
ところが、だめなのだ。うちはそれぞれが個人経営なので、別々に申告をしていた。
よって、証明書等の申込も本人が書いてほしいという。
すでにここでエネルギーを消耗。

しかし、日本の行政が素晴らしいところは、書類がそろっていればあっという間に証明書がもらえる。袖の下も必要なしだ。みんなとっても勤勉なのだ。
翌日は、大雨の中入管へ。
普段のビザ更新のほかに、永住権の申請があったので、書く書類が倍に。
前回の教訓も含めて、案内にあったもの以外のものもいろいろ用意していった。
銀行残高証明のほかに、取引先証明などなど。
結局それらは使うことがなかったが、家系図を書いたり家の近所の地図を書かされた。

受付のところで並んでいたら、見たところはペルー人(ラテン系)に見える男性(泡盛と書かれたTシャツが印象的だった)が、同じ地区から来た人なのだわかる。
日本人の奥さんがいるから婚姻ビザの更新のようだ。申込書がほとんど白紙だったこともあり、いろいろ指摘を受けていた。
日本語がよくわからないのかすごく困った顔をしていた。奥さんから渡されたと思しき書類を取り出していたが、係りの人から書面に必要事項を出来るだけ詳しく書いてほしいのだと言われていた。わかれば彼だって、とうに記入済みのはずだ。

家のペルー人が、「かわいそうだよね、奥さんもくればいいのに」というので、ブチ切れ。
普段の日に休める人ばかりじゃない。おのれもひとりでこんかい!!私だってそうとう労力はらっているんだぞ。
いつも思うのだが、一応日本語と英語で申し込み用紙は書かれているものの、日本語で読んでもなにを聞かれているのかよくわからないことがある。
英語と照らし合わせて、意味を理解するという始末だ。スムーズに窓口業務を済ませるために、書類の書き方を教えてくれるボランティアスタッフを用意してくれる日とか、あったらいいな。これは甘えすぎ???
申込用紙を受け取るところでは、一応いろいろ教えてくれるものの、忙しそうなので聞くのも難しいときがある。
まあ、これは入管に限ったことではないけれど、入管の外にあるコンビニの2階は行政書士事務所というのも、なんだかなだ。

申込を渡した時点で150人待ち。
前回よりもずっとましだった。

後ろにいた日系ペルー人と思しき家族と雑談したり、小腹を満たしているうちにどうにか呼ばれた。
いつものビザはすぐに更新されるけれど、永住権はいつになるかわからないから、気長に待ってねと窓口で言われる。
ああ、永住権が取れたらここにくることももうないのかな。
ほんと、決まり切ったことだとわかっていても、ものすごくエネルギーを消耗する。

ほっとしてご機嫌な家のペルー人と、疲れた上に大雨の湿気で、髪が爆発して不機嫌な私。
遅くなった昼とおやつをおごらせ、帰途についた。
最寄駅の降り立ったら、30分後になんと喜納昌吉の街頭ライブの知らせ。
かぶりつきで場所を確保し、ハイサーおじさんとか、いろいろサンシンと喜納昌吉の歌に癒された。カチャーシを踊りながら、家のペルー人より盛り上がっていた。

「私は、左翼でも右翼でもない。しいていえば”仲良く”だ。みんな仲良しになろう」
喜納さんの言葉に心打たれ、不覚にも「花」の歌に涙した。
ミーハー根性で、写真を一緒に撮らせてもらい、本日がんばった自分のご褒美にしたのだった。
フジモリ氏ペルー引き渡しなし[2007年07月12日(Thu)]
チリで審議が待たれていたフジモリ氏。
裁判官による証拠の無効として、ペルーへの引き渡しを却下。

最終審議はまだのようですが、それまであれだけ有罪とつるしあげていた事実はどこに?

今後の行方に目が離せません。

そういえば、ペルーの代表メディア、エル・コメルシオにフジモリ氏は北朝鮮のパスポートを持っていると、日本の特派員からのコメントとしてあったようですが・・・・・

一言よろしいでしょうか?

ペルーメディアよ、世界情勢と国家事情をもう少し勉強したほうがよござんす。
そして、新聞とは言論の自由もありますが、言論の責任情報の正確さも大切なお仕事。
「うさわ」や「おもいつき」が、メディアの仕事じゃないですから。

ま、しかし事なかれ、長いものに巻かれろで、優等生ぶりだけが目立つ個性のない日本のメディアを「マリコン!」という家のペルー人の意見にも同意しますが・・・

はあ===
気分いい!!
フジモリ氏立候補決定[2007年06月28日(Thu)]
フジモリ氏、とうとう日本の国政へ。

決定ですね。
フジモリ氏のゆくへ[2007年06月23日(Sat)]
今年のペルー独立記念パーティは、クラブチッタ川崎で行われると聞いた。
7月28日の夜から夜通しのパーティだ。20歳以上だから子供のいる家族は参加できない。
このパーティ、オフィシャルのもの(大使館サポートという意味で)ではなく、有志(というか、利害の一致)によるもの。
大使館主催としては、国連大学でセレモニーが行われるという話しだ。私は、結構エスニックなイベントが好きなので、代々木公園イベント広場で開かれるイベントに毎年でかけている。
タイ、インド、スリランカ等いろいろあって面白い。
いつも思うのだが、いっそのことペルーの独立記念日もこんな風に、野外のイベントにしたらどうだろう。

ここはステージもあり、スリランカのときは、夕方に開かれたコンサートに現職の大使がマイクを持って自国のロックバンドと歌っていた。
日本との文化交流や、その国の一流の楽団や舞踊団がやってきて繰り広げられるステージは、野外ならではのゴーカイな楽しみにあふれている。

ブースは、お料理、物産店、マッサージとか、それぞれ主催の国にゆかりのあるものばかりで、これもまたおもしろい。野外なので、風を感じながら自分たちのペースを保つこともできるから、カップル、家族、友人という幅広い人たちに対応している。
旦那に話すと、そんなにペルーだと人が来ないよというけれど、スリランカだって、最初の年は、ほんのちょっとのスペースだった。
でも、毎年規模が大きくなってきたし、タイなんか今年はすごかった。原宿側から、NHKを抜けて渋谷にでる道までびっしりとブースがうまっていた。

ペルーだけじゃなくて、ラテン関係の日本人ブースもあつまるかもしれないし、公共施設なのできっと予算もそんなにかからないのではないかと、勝手に想像していた。
でもな〜足の引っ張り合いのペルー人同士のこと、だれが音頭をとりまとめていくかが問題かもしれない。

ところで、フジモリ氏参戦の行くへはどうだろう。
それにしても、人の興味を湧かせるのに話題がきれない御仁だ。
このところ、ペルーでは「フジモリには立候補する資格があるのかないのか」で話題になっているようだった。
首になった前駐日大使のマキャベロ氏が、よせばいいのに「フジモリに立候補権がない理由」を語った。
「日本に選挙前、暮らしていなければならず」と偉そうに語っていたが、日本人妻を持ち、日本通を自認しているのならば、お偉いお仲間に公職選挙法をとくと解説してもらうがいい。

ペルーのように、あれこれ難癖をつけてフジモリ氏の大統領参戦を認めなかったような国ならば、いざしらず、現在のところフジモリ氏の立候補に問題はない。
ペルーやスペイン語系新聞が、フジモリ立候補は不可能というのは、EFE(スペイン語ニュース配信会社)の情報を使っているからだ。
反フジモリの通信社なので、いつもマイナスの情報しか流そうとしない。というか、EFEには公職選挙法を読めるスタッフがいないのかと思う。

三権分立の民主主義日本と、政権が変わるたびに白いものが黒くなる国と同じに考えては、結果的に、「いったものの勝ち」のいつものペルーメディア調が横行する。

さて、亀井氏がフジモリ氏を担ぎ出す本当の狙いはどこいあるのだろうか?
7月23日付けの毎日新聞の解説によると、

■東京選挙区に知名度の高いフジモリ氏を使い議席を増やしたい
■北と独自のチャンネルがあるフジモリ氏に、拉致問題の突破口になってほしい
■拉致問題を解決し、日朝関係のリーダーシップを国民新党が握り阿部政権を打倒したい

という3点が見えてくるのだが、どう言い訳をしても亀井氏の思惑は、阿部政権の飛び道具が必要だったということなのだろうか。
フジモリ氏の妻は、ホテル事業家でもあるが、日朝の影の功労者としてよく知られている。このあたりの思惑がみんな一致するのか、よくわからないが、今のところ立候補かどうかの返事は、まだ先延ばしだ。

フジモリ氏からすると、日本の政権にいれば、ペルー政界にもその影響を及ばすことができる
というのが、毎日の解説だったが、一国の元首から国会議員というのは、いかがなものだろか?
フジモリ氏の手腕からすれば、日本の政治はちょろいものだと思う。手ぬるい外交も攻めの一手になるのじゃないかと想像する。

しかし、それは本当に彼の望むところなのだろうか。
またそれが、本当にペルーのためになるのだろうか?

国会会議中に、フジモリ氏のPRラフォ議員が、プレスノートを書いていたところがキャッチされていたが、フジモリ氏が現職ならば、とっくの昔に首をきられるような間抜けなミスだと思う。
歴史的な票を勝ち取ったケイコ議員は、妊娠ということだ。
母親のスサーナ女史は、あいかわらずフジモリ攻撃と、ドラマクイーンの座を降りようとしない。

奇襲と結果が大好きな元大統領は、今度はどんな道を作ろうというのだろう。
彼には、大統領への道がふさわしいと私は思っている。
ただ、どんな御仁も年齢には勝てない。そして歴史の流れを変えることができない。
彼が一矢報いたのは、やはりペルーの国益のためであると信じたいし、そうでなくてはならいないのだ。
それが、選ばれたものの宿命であり、責務じゃなかろうか。
アルベルト・フジモリ氏参議院議員に[2007年06月19日(Tue)]
チリからのホットニュースから。

チリにて審議の結果を待つペルー前大統領アルベルト・フジモリ氏が、夏の参議院選へ。
朋友亀井静香氏の要請を受けて、国民新党の比例代表制で出馬予定。

しかし、まだ決定ではないようですね。

どうなることやら。



家の男に溜まった愚痴をのしつけて贈ってやるのだと目論んだ夜[2007年03月24日(Sat)]
ゾフィは、アメリカからきたフレンチアンゴラのベビー。
この種類のうさぎは、ウールを取って紡ぎ糸にする。本物のアンゴラうさぎの毛で編んだものは、驚くほど軽くてあたたかい。やわらかい光沢がありなんとも言えずにきれいだ。
そして、チクチクすることもなくふんわりとぬくもりを保ってくれる。
そんな優しい毛をプレゼントしてくれるアンゴラウサギは、性格がとてもいい。
ゾフィが日本についたばかりの頃の名前は、叶美香。一緒に来日した同腹の姉妹は当然恭子だった。
ちょっとシャイな妹とゴージャス街道まっしぐらの姉の通り、この2匹はケージに鎮座していた。

姉と比べてゾフィーは、未熟児だったせいか小さい。
性格も、プライドの強い姉に比べるといたって甘えん坊でフレンドリー。
それでも、お姫様扱いが大好きなのはやはり叶シスターズの名残かもしれない。

うさぎを想像して、なんとかやさしい気持ちになろうとしている私。
喧嘩はしないと決めたはずなのに、どうしてもイライラしてしまうのだ。
なにが原因かといえば、些細なことかもしれない。
うちは、お互い同業者のようなところがあるけれど、厳密に分ければ違う。
まあ、日本人妻であり日本に住んでいるのだから仕方ないとはいえ、どうしてもいろいろなことが自分の肩にかかってくるのだ。

悲しいけれど細腕ではない、二の腕お振袖状態のガチンコの私。
それでも、疲れる。

なにが疲れるのかというと、相方の頑固なまでの控えめな性格・・
いや、貪欲のなさだ。
うちは、自営という名のフリーランス。営業をし、仕事を仕上げてお金を回収してやっと仕事が終了ということになる。

生き馬の目を抜くような派手な世界ではないけれど、地道な顔出しやコネクションがものをいう世界だ。私も調子こきはできないものの、独立して13年。
泥の舟に乗っているなと思いながらも、なんとかやってきた。私の仕事は女だからといってギャラが安くなることもないけれど、女という武器もまったく生かされることなくやってきた。
まあ、それがいいのか悪いのか判断はつかないし、自分自身見た目の押しの強さほど手腕もなく、コネクションつくりはへた、アプローチもヘタな部類だ。
それでも、だめはだめなりに、なんとかやってきた。

怒りの原因は、今日に始まったことではない。
ずーっと同じ。
とにかく、この世界顔を売ってこそナンボのもの。
それなのに、家の男ときたら日本人の集まり(ゲストがペルー人であってもだ)というだけで、
逃げていく。
日本語が通じないとか、日本人の中にいるとストレスだとか。

日本人がそんなに嫌ならば、己はなぜ日本にいるのだ?
というか、自分のパートナーはどうなのだ?

なにが原因かといえば、これはもう本人の失敗を恐れる性格と語学能力のなさだ。
というか、日本語ができないことをいいわけにしているのである。

むかつくのだ!

確かにコネクションつくりも、顔つなぎも得意不得意はある。
繰り返すけれど、私も本当に苦手だ。
ある同業者の集まりにいくと、それこそ人様主催の場だというのに、自分のプロフィールを持ち歩いて宣伝しているやつもいる。
その場で企画書を投げまわっているつわものだった。
あんたも、食べている暇があったら、名刺交換の一つでもしろと先輩にどつかれて、挙動不審になりながら、名刺交換をお願いしたこともめずらしくない私。

それでも、明日の御飯が食べれないとなれば、肉弾戦も辞さない覚悟でいくのだ(大袈裟ですが)。

しかし・・・

なぜ、彼がこんなにも日本語を避けるのかわからない。

自分がこの中で圧倒的にマイノリティーの言語を使っているというストレスは、よくわかる。
逆に、ほとんどの人がスペイン語という中にいると、まあなんだか、そんなヘタレな気持ちにもなる。
でも、知ってる限りの言葉で対応する気合いは残っている。

これが、本当に社交辞令だけならば、ストレスだからやめたほうがいいという判断もあるかもしれない。
だけど、仕事なのだ。

というか、自分の中できっと、家の男を批判しているのだと思うのだ。


どうしたものか。

問題の本質は、家のペルー人のフリーランサーとしての自覚とビジネスセンスのなさか?
日本語を話そうとしない姿勢か?
日本人社会との接触を拒否しているところか?
私の頑固さか?

最近思うのは、異文化異人種(彼の場合はこれに当てはまらない)の中で、生きていかれるのは、教育環境やスキル(言語)などもあるかもしれないけれど、これはもう圧倒的にDNAみたいなものが影響しているということ。

うさぎでもいる。
環境がかわると全然だめなタイプ。こういうのは、すぐにストレスをためて病気になる。
そうかとおもえば、動じないうさぎ。
というか、環境に適応しているようでいて、実は自分のペースを変えないのだ。

家の男がもっとも苦手とするのは、
知らない人と話すこと。
シャイといえば、聞こえはいいが、いい大人がそんなの可愛くもないし、言い訳にもならないと思うのだ。

私って厳しい?

最近のこと[2007年03月22日(Thu)]
本日は、国際仏教塾というところに行ってきた。
ここは、宗派を超えて仏教の勉強をするところだ。お話しをうかがっているうちに、住職さんが「時間を無駄にすることは、時間を盗んでいるのと同じです」というようなことをおしゃった。

なにからそういうことになったかというと、ここでの勉強には2回修行体験が含まれていて、2泊三日で修行道場に行くのだ。
そして、僧侶の修行とまったく同じことをする。その修行の中には掃除が入っているのだ。
私なんか、部屋を丸く掃く典型の人間で、とにかく早く終わらせたいという気持ちばかり先行してしまう。
ところが、住職が「最近の人は年齢に関係なく、雑巾をかけることができないんですよ」と言う。雑巾で拭き掃除をいいつけると、ちょっと拭いては雑巾を水で洗うの繰り返しなのだそうだ。
雑巾がけの基本は、手の平サイズに雑巾を折りたたむこと。これですべての面を有効活用し、拭き清めていく。これが雑巾がけというものだ。

つまり、このように無駄な掃除をしていることは、時間のロスであるばかりか、本来ならばやるべきことが、ほかにもできる時間を盗んでいるということになるらしい。
盗みは、仏の教えに反しているので、これはもうぜったいダメな行為なのだ。

ところで、昨日びっくりすることがあった。
家のペルー人が、今日定期健診に行くので、診察カードを探していた。
実は、先週がその検診日だったのだが、所用ができたのでキャンセルをし予約をし直していた。予約をしたあと、予約表に書き込みどこかへしまったらしいのだが、一向にでてこない。
まあ、わりと身の始末のいい人なので、気にもとめなかったが、いくら探してもでないので焦っていた。
一昨日、机周りを片付けたときに捨てちゃったんじゃないかということになった。まあ、しっかり者のようでいて粗忽者の彼のこと、それもありえるかなと思っていた。

再度診察カードを発行してもらうしかないねと、話していた矢先、ふとマルティネス神父様の写真を見たペルー人は、導かれるように手紙入れのところに手を伸ばしてみた。
そして、神父様のお通夜に配られた挨拶状をあけると、なんとそこには神父様の写真と聖歌のしおりにくるまれた診察カードがあった。

しばし、沈黙の私たち。

お互いここに入れた記憶はない。
いや、入れたのかもしれないけれど、まったくやった覚えがないのだ。

偶然といえば、偶然。
神父様が助けてくれたのか、というよりも「いい加減に喧嘩はやめなさい」だったのか。
先週は、神父様の御兄弟のことを話していたら、当の御兄弟からメールがきた。

だいたい、神も恐れない粗忽者の家のペルー人も、
最近はややおとなしくしているのだった。

FOODEX記[2007年03月21日(Wed)]
三寒四温というけれど、このところ寒い日ばかりが続いている。
土日は、久しぶりに一日中寝て過ごしていた。どうもおかしいなと思っていたら風邪をひいたようだった。
とにかく、花粉症なので、鼻水がでていてもそれが風邪のせいか、花粉のせいかよくわからないでいる。

そんな中、幕張で開かれたFOODEXへ。
FOODEXに初めて行ったのは、7年くらい前だったか。
商社に勤めている友人からチケットをもらって、出向いてみたらすっかり虜になってしまった。
とにかく、国内外からこれはという食品が目白押し。
本来は、業者同士の商談の場。私の狙いは試食でした。
面白いのは、やはり海外。イタリアやスペインのヨーロッパ勢もいいけれど、インド、メキシコもブースが大きくて面白い。

今回は、ペルーも出展しているというので楽しみにしていった。
ペルーは、ピスコや、マカ、アンデスバナナ等がいろいろ展示。
私の心を奪ったのは、ペルー製のパネトーン。
おなじみのパネトーンよりも、甘さが抑え気味のうえ、もっとしっとりした味わいだった。



今回は、ペルー輸出委員会(PROMPEX)からジェサミ・アチネリさん(写真右)もやってきて、ペルーの製品をしっかりPRしていた。思うに、ペルーの農産物やほかの食料品は、本当に質が高い。しかし、問題点は、日本でのマーケティングとPRが十分でないこと。

個人的な意見を言えば、フジモリ問題で対日本との関係を反故にしていた、前トレド政権の影響か、この失われた6年が影響しているのだと思う。

今日本にきているマカやヤーコンは、前ペルー駐日大使のビクトル・アリトミ氏の働きだ。時代が変わり、アラン・ガルシア政権は、日本からの支援を求めている。
これを証明するかのように、今年はペルーも日本向けに食品と観光を目玉にしているのだ。
観光は、なんといっても団塊世代の誘致。新しい遺跡の発掘もそうだが、日本人が求めている観光ルートの開拓も余念がない。
どれだけ、ペルーが日本人マーケットに熱心かは、度々ペルー大使館で開かれている、旅行業者向けのレセプションでもわかる。

残念ながら、FOODEXでは、コロンビアの成功が華々しく、ペルーサイドが、アピールが少々弱かった。
コロンビアブースでは、コロンビア美人が、フレッシュジュースを振舞、商品のPRも上手かった。
しかし、紹介しているポテトやコーン、カモテ、パパイヤはペルー産。ペルーで収穫したものをコロンビアに持ってきて、加工し輸出しているのだった。

今回は、海外エリアだけを見ていたので、国内はパス。
国の数だけビジネス習慣があるなと改めて思った。最終日は4時半に御仕舞となる。
韓国や台湾ブースは、時間ぎりぎりまで営業。イタリア・スペインは、3時半過ぎたらすでにお片付けモード。
スペインエリアでは、生ハムをスライスせずに、もうブロックでどっさりと出してくれた。
それを肴に、ワインを開けて飲んでいるのは、客よりもブーススタッフだった。
イタリアエリアも、そこはもう宴の場。

キャビアをてんこもりという、生まれて初めての経験をし、しっかりと胃袋で国際交流をした一日だった。




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