2.入所更生施設(精神薄弱者入所更生施設)に勤務して(昭和53年から平成3年)
今は精神薄弱者入所更生施設のような施設はなく、今ならグループホーム、生活介護、就労継続B型事業所が一体となった施設で当時は知的障がい者福祉の主流でした。障害種別は知的障がいの最重度の方から軽度の方まで100名は利用する施設でした。
療育、就労支援を同時に処遇(支援)いました。
1) 最重度の方の療育支援を担当して
耳もきこえない、言葉もない、知的障がいも、最重度の方を担当させてもらっていました。排泄も介護が必要でしたので主に介護や機能訓練、音楽セラピーなどが毎日の主な業務でした。介護や一緒に散歩しているとその人の優しさにふれた時は何とも言えない幸福・充実感を味わいました。
でも介護、機能訓練やセラピーのなかで最重度の方が変わっていく姿を見て、この仕事の素晴らしさをお世話する方より教えてもらったと思っています。この施設では更生棟40名、重度棟30名、高齢者棟30名で構成された施設でした。
2) 更生棟40名の人たちと関わりで教えてもらったこと
とにかく様々な方がここで暮らしていました。戦後のドサクサのなかでもまれて人で悪い人の手先になって犯罪にかかわったり、飲み屋でホステスをしていたりして本当に面白い話を聴かせてもらいました。軽度の方ですので、色んなことができる人たちで喧嘩も多かったようでした。
でも、家庭から離れてここで暮らすことの切なさや割り切れない思いがあり、同時に家族の苦労もわかったようにも感じました。でも施設で暮らすことで貯めた障害基礎年金を家族が持ち出すのも複雑な思いでした。当時は職場実習(今でいう施設外就労)で貰った手当。給料はすべて本人たちが貰っていましたので、障害基礎年金を合わせると10年以上働いた方は多額の預金があったようでした。
3) 職場実習として施設から町の企業に働きにでる(今で言う施設外就労でしょうか)
更生棟40名の内15名程の方が地域の企業で実習の名目で働きにでていました。アルバイトに近い形で製材所、食堂、スーパー、木工所等に行っていましたが、会社の従業員三さんと同等な対応してもらい社内旅行、食事、祭りにも呼んでもらっていました。たとえ施設に暮らしても地域の一員となって働けることに感謝をしていました。
いずれも障がいがあっても逞しく生きている姿が地域を豊かにしたのではないでしょうか。
