耕作放棄地が広がる風景を見ていると、胸が痛む思いがします。中山間地の水田は面積が広くなければ採算がとれないのでトラクター、コンバイン等の農機具が壊れくると新調するよりは米つくりを辞めた方が採算の見合うとのことで何も作付けをしない農地、耕作放棄地が増えてきている。
兼業農家で子どもの頃は学校を休んで田んぼの手伝いをした私にとって、採算も大切ですが、先祖より継承された田を耕すのは長男の責務と教えられて今に至っています。祖父が「田んぼをつくれば貧乏はすることはあっても食べてはいけるぞ」言った言葉が忘れられない。貧乏を誇りに懸命働く、子どもたちが幼い頃は皆田んぼで遊び育った暮らしがそこにありました。貧乏だけど豊かな暮らし、けして貧困ではなかったと感じている。
ふと、こんなことを思ったことがあります。地方で耕作放棄地が増えていますが、それに従って、都市の人口集中、貧困、虐待、差別などの社会問題や病理が増えてきているようにも感じています。都市に集まることで幸福が約束されているわけではない。消費によるインフラの整備が追い付かずにストレスになっているようです。高い家賃、物価、ブランドに追い回されて、本当の豊かさを忘れていまっているのではないのでしょうか。
新型コロナウイルス対策はそうした社会の歪みや問題を教えてくれているようにおもいます。都市の消費社会と貧困、地方の貧しくても豊かな暮らしをみていると、これを契機にかえていく部分が必要かなと思います。
みんなでサツマイモを植えました。