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【特別記事】被災地特集@ [2011年11月02日(Wed)]
〜宮城県:石巻・南三陸町〜

2011年10月28日(Fri)〜10月31日(Mon)

【訪問先】
〈宮城県〉石巻市・南三陸町・気仙沼市
〈岩手県〉陸前高田市・大船渡市

【震災被害状況】10月28日現在
死者:1万5829人
行方不明者:3724人
避難者:7万1358人

Peace Makersスタッフの1名が被災地に訪れてきました。

最近では、あまり被災地の様子をニュース等で報道されなくなり、被災地の今(現実)を自分の目で確かめてきました。

被災地の全てを伝えられるわけではありませんが、精一杯伝えられることは伝えようと思います。


東日本大震災から早くも半年以上もの月日が過ぎました。

私が今回、被災地を訪れた理由は実際に自分の足で歩き、自分の目で見ることで感じたことを一人でも多くの方に伝え、皆で協力して1日でも早く被災地を復興したかったからです。

私は被災地に行くまで、ボランティアで出来ることはもうあまりないのではないかと思っていました。
しかし、実際に行って出来ることはまだまだあるのだと感じました。

今現在、被災地の道路は完全に瓦礫が撤去され、綺麗に整備されていました。
しかし、道路以外のところはまだ瓦礫が残っていて、山積もりになった瓦礫の山がいくつもありました。
↑瓦礫の山

それだけでなく、残っている建物はほとんどなく、残っていても鉄骨や土台しか残っておらず、作業をする重機や車両もあまりない状況でした。

また、場所によっては湖のように水が溜っていたり、道路の隣を川のように流れていたり、橋が途中から寸断されていたりするところもありました。
  

↑寸断された橋

それは、海沿いだけではなく、海から2〜3km離れた地域でも同様の被害を受けていました。

正直、津波の高さや爪痕がはっきりとわかるくらいで、言葉を失いました。

夜になると街路灯や信号がないため、何も見えないほど暗くなってしまいます。
↑夜の被災地

また、夜になって驚いたことがあります。
家が残っている地域でも、住んでいる人がごくわずかということです。
大半の住宅では、電気もついておらず、中が真っ暗な状態です。
そのため、夜は昼に比べて閑散としており、何か恐怖を感じるくらいでした。

人がいないことが、これほど怖いことなのだと実感しました。

私は当たり前だと思っていた生活は、人や物に恵まれているからこそ出来ることだと痛感しました。

次回、特集第2弾を掲載しますので、それまでお待ちください。

お亡くなりになられた方へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。

一日も早い復興をお祈りいたします。 
Posted by T. Komizo at 09:57
この記事のURL
https://blog.canpan.info/peacemakers/archive/432
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