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それでも夜明けはやってくる!?

毎日いろいろありますがそれでも夜明けはやってきます。
そんな毎日を味わっていきたいと思う今日この頃です。


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親子で科学体験 [2009年08月10日(Mon)]
本日は日本財団が助成する「親子参加型科学体験イベント」
事業を見に足立区梅田地域学習センターへ行きました。

この事業を主催しているのは東京工業大学の学生さん
達です。勿論代表は先生なのですが実際の事業は
学生さん主導で動いており、学生さんの成長も期待できる
事業です。







20組40名の定員は満員御礼。会場は親子の微笑ましい
光景に溢れていました。

科学に関する工作(今回は「走馬灯」)が完成し、
親子で目を輝かせる様子には私も嬉しくなりました。

こういう機会を小さい頃にできるだけ持つことが
子どもの学力だけでなく、健やかな成長に繋がる
と思います。

大学の社会貢献、学生の成長、親子の繋がり、
科学教育と、派手ではないですが、意義の深い
事業であると感じ帰路に着きました。


子どもの貧困3 [2009年07月13日(Mon)]
さて、珍しく続いているブログですが今回は
私の修士論文からの紹介です。

修士論文ではストリートチルドレンの置かれた
教育環境、家庭環境、路上生活経験などによ
って彼らの将来の教育や仕事への希望がどう
影響を受けているのかもしくはいないのかを
調べました。

結論から述べると、子どもの将来の希望はやはり
家庭環境に大きく左右されるということです。

その中でも印象的であったのが家庭の裕福度
よりも家族との関係が大きく影響していた事です。

また、面白いのは将来の希望を複雑な事情で
普通学校に通えない子どもたちの為のための
ノンフォーマル教育に通う子どもと普通学校に
通う子どもで比べると普通学校の子どものほうが
より高い期待を自らの将来に抱いていました。

私が感じたのは学べない子どもが「学べるようになる」
事は大きな進歩である。しかし、その学びの場所の違いが
さまざまな社会格差の表れであり、普通学校の下に見られ
るなら学ぶことが必ずしも子どもの将来への意欲を駆り立て
るとは限らないという事です。

この辺りは最近話題になった希望格差と通じるも
のがあります。

ともすれば先進国で起きる問題と途上国で起きる問題は
まったく違うと思われがちですが、共通点もあるのか思います。

子どもの貧困2 [2009年07月12日(Sun)]
さて、自分の勉強の為にも書いている「子どもの貧困」
ですが今回は子どもの貧困と学力についてです。

日本において義務教育はかなりの高い水準で質、量と
ともに保たれているのは周知の事実であると思います。

世界的にみた日本の子どもの学力に関していろいろな
論議がありますが概ね世界でも日本の子どもの学力は
高いようです。

しかし、これはあくまで平均であって日本の場合、上位と
下位の差が広がっているようです。

そして教育社会学の分野においては親の所得や職業と
子どもの学力には何かしらの関係があるとする研究が
複数あります。

ここでは深く踏み込みませんが(議論が複雑ゆえ)いくら
機会の平等が確保されてもその後の家庭環境で子どもの
学力は大きく変わります。

皆が皆、勉強ができなくてもという声はありますが、子どもの
期の大半を過ごす学校において学力で出遅れた子どもが授業に
興味を失い学校から疎遠になるような事例もあるでしょう。

そういう意味で下位層の子どもに学力をつけさせる事は勉強
という枠を超えて子どもの育成という意味でも重要であると
考えます。

実際に家庭状況が厳しく親が子どもに関わる余裕が時間・金銭
的にもない家庭の子どもをどう支えていくのか、非常に大きな
問題だと考えます。


子どもの貧困を考える [2009年07月10日(Fri)]
昨年度から「子どもの貧困」というテーマが世間を
じわりじわりと騒がしています。

週刊東洋経済での特集、阿倍彩氏著の「子どもの貧困」、
山野良一氏著の「子どもの最貧国・日本」、以上のような
情報を通して多くの人が子どもの貧困を知るとともに一方
で驚きを覚えたのではないでしょうか。

「子どもの貧困」を見る観点は多様でとても一つに絞って語
ることはできませんがまず重要なキーワードは「相対的貧困」
という言葉です。

テレビでA国の裸足で学校へ通う途上国の子どもを見て「世界
には靴を履いて学校も行けない子どももいる、だからあなたは
恵まれている」とうかも知れません。

つまり、靴も手に入らないのは絶対的な貧困状況であると思うからです。
しかし、A国においてはまだまだ靴が贅沢品で社会に浸透せず、皆の
中に「皆が靴を履く」という意識は希薄だとすれば「靴を持たないこと」
は当人からすれば大きな問題ではないかも知れません。


一方で例えば、日本のような国に「靴を履いて学校へ行けない」という
状況はA国の子どもよりもある意味、貧困であるかも知れません。

このような事を考えると貧困の問題は絶対的貧困、相対的貧困を持ち出
すことで見方が大きく変わることに気づかざるえません。

では続きはまた今度。
「現場」とは何か??? [2009年05月22日(Fri)]
研修として重症心身障害児(者)施設に行って来ました。

施設の職員さん、園生の皆さん、お世話になりました。
そして、本当に申し訳ない。昨日、今日知り合った人間に肌に触ら
れる。これが心地よい事でないのは障害の有無に関わらず想像に
難くないはずです。

「現場研修」「現場体験」。特に意識されず、使用される言葉
ですがこの「現場」という言葉にどれほどの意味があるのか?

かつて教師をしている時に、学校の先生達の現場意識の高さ
に感嘆すると同時に縄張り意識の強さも感じました。「学校の
事なんか他人にわかるかい」みたいなものです。

一方で妙に研修だけ謙る行政官。「何分現場を知らないもの
で勉強させてもらいます」みたいな。

お互いが教育の使命=子どもにより良い教育を施すというミッション
を共有すべきなのにお互いがお互いを違う存在として捉える。よって
問題解決を志向する議論よりもお互いの面子争いのようになること
があるのではないでしょうか。

これがいかに受益者である子どもにマイナスをもたらすのでしょうか。

この研修を「現場は大変だ」という、単純な結論で終わらせるのでは
なく、日本の福祉をより良いものにする為に、行政、施設、そして我々
の様な組織が何ができるのか、それを考えるきっかけにしたいと
思いました。

国際化とインフルエンザ [2009年05月18日(Mon)]
新型インフルエンザの脅威が広がっています。

私が去年まで通っていた大学院でも休校が決ま
ったようです。

政府は「水際で止める」と必死でしたがやはりウィルスは
その網をくぐり抜けたようです。

この政府、メディアが使用する「水際」という言葉に付いて
あるテレビコメンテータが興味深いコメントをしました。

「水際という言葉には日本だけを何とか守ろうとする了見
の狭さを感じる。この時こそ、日本が積極的に途上国など
へ支援すべきである」

これは正確な言葉ではないですが、趣旨はこんな感じです。

確かに日本人として日本のことを考え、守るのは第一ですが
これだけ多くの人間が海外へ出掛け、また海外からやってくる
中で日本だけ無傷でいるのは現実的には難しい話です。

この水際という言葉には国際化を謳いながらまだまだ島国
としての感覚が抜け切らない私を含めた日本人の典型的な
メンタリティーが見えるのかもしれません。

新人研修一段落 [2009年04月29日(Wed)]
4月も終わりを迎えようとしています。

私の新人研修も5月の施設研修を
除き終わりを迎えました。

内定者として外から見る日本財団と
職員として中からみる日本財団はやはり
違いますね。

モーターボート競走法、寄附行為といった
ものは内定者の段階では、あまり意識しま
せんでした。

しかし、これを理解する事で日本財団の存在
意義がよくわかった気がします。

どんな組織にも目的というかミッションはあります
し、それを意識しないようになると、仕事のやりがい
も薄れていくのでしょうね。

まだまだペーペーの駆け出しではありますが、
この暗く見える世の中での日本財団の存在意義、
これを自分なりに考えていきたいです。

何故か新人研修報告書みたいになりました。









入会しております [2009年04月09日(Thu)]
とうとう4月になり、日本財団の職員(3ヶ月は試用期間ですが)
として働き出しました。

働いていると言っても新人研修がありますので4月一杯は
あまり席にも居らずに研修研修でございます。

かつて中学校の常勤講師として1年間働いた経験はありますが
特に研修もなく、着任後2日で「じゃあ授業よろしく」と言われた
のが思い出されます。

しっかりと研修を受けて、早く役に立つようになりたいものです。

内定者研修に行って来ました [2009年01月07日(Wed)]
どうも皆さん、明けましておめでとうございます。
とうとう、2009年になってしまいました。
今年は大学院を卒業し(しないといけません)、
新たなスタートを切る年です。

さて、月、火曜日と内定者研修に行って来ました。
私は夏の研修を修士論文の調査で欠席しましたの
で初顔合わせでした。

かなりの緊張でしたが皆さん非常に優しい方で
安心しました。

研修の一環として平和島の競艇に行って来ました。
平日にもかかわらず、多くのお客さんがおられました。

まったくの初体験でしたので見るもの聞くもの全てが
新鮮でした。

もちろん、自分自身も船券を購入しましたが、結果は
惨敗でした。元来、賭け事には才能がありません。

しかし、内定者のA君は当たりを連発しておりました。
3回くらい賭けて、全てに当たりが出ていました。

まさに競艇の申し子でしょう。何かオーラのようなものすら
見えました。今度は彼の賭ける船券を、私も購入してみようと
思います。

修士論文が終わったら、是非近所の競艇場へ足を運んでみようと
考えております。しかし、先ほど指導教官より修士論文の草稿に
対するダメ出しダメをばっちり頂きましたので、まだまだ競艇に行くのは
時間がかかりそうです。


社会人への道 [2008年11月18日(Tue)]
ブログを始めて約3日ですが、ブログをやってると
思うと普段から頭が書くネタを求めるようになりますね。
最初だけかもしれませんが。

今日は来春からに向けて社会人(もう十分社会人の年齢ですが)
への不安を曝け出してみたいと思います。話は大学時代までさか
のぼります。あれは大学4年の冬、海外ボランティアという進路も決まり
それぞれの道を歩むみんなと鍋をしている時です。

私:いやあ、来年から海外で生活なんてドキドキやわ。
友人:おまえの場合、語学うんぬんよりその飯の食い方なんとかせいや。
私:普通に食べてるやん。
友人:音がなっとる。海外で撃たれるぞ。




※この写真はその海外での食事です

結局、食事作法の未熟さで撃たれはしませんでしたが
思い起こせば自分の「食事作法」がなっていない事を
自覚した瞬間でした。食事作法を知らないと恥をかくだけでなく
違う文化の中でも失礼をしたりすることがあるやも知れません。

その他にもいろいろエピソードはありますがこれ以上恥を晒すと
誰ともご飯を食べてもらえないと嫌なのでやめておきます。

今では決死の努力により改善はされていますが
激しい空腹時には要注意です。

そう言えば、この前実家でご飯を食べていると
父と弟が大学4年の私と似たような音を立てて
いました。そして未だに母に怒られていました。

「君、ご飯の食べ方がなってないね」「家庭環境がちょっと」
という言い訳は通じないので真剣にこの大問題に取り組みたいです。


それでは今からトレーニング兼夕食を学生食堂で行ってきます。

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